『追悼12月8日』
久しぶりに書いた気がします。
この時点では、ハワイ攻撃の詳細が伝わっていなかったため、戦域を「西太平洋」と発表されています。
台湾には台南海軍航空隊(通称:台南空)があり、熟練の搭乗員であった横山保大尉が所属していました。横山大尉は九〇艦戦、九五艦戦、九六艦戦を乗機として基地航空隊に所属し支那方面で実戦経験を積み、その後に新鋭空母「蒼龍」の戦闘機分隊長、横須賀航空隊所属時(昭和15年6月)に、十二試艦戦(後の零戦)に搭乗、実用試験に従事したのち重慶上空において零戦隊初の本格的な空戦をおこない、零戦隊は敵機のほぼ全てを撃墜するという戦果を挙げました。
12月8日午前10時55分、横山大尉は53機の零戦を率い高雄基地を飛び立ちフィリピンのクラーク基地を攻撃し戦果をあげています。
有名なのは
・坂井の上官だったラバウルの貴公子『笹井醇一』
・その部下の『杉田庄一』
・横山の2番機も務めた空の宮本武蔵『武藤金義』
・坂井・岩井が最強と称する『赤松貞明』
・その分隊で活躍した『岩井勉』などがいます。
海軍の「零戦」はあまりにも有名ですが、他にも「紫電改」や陸軍の「隼」「飛燕」「疾風」など名機が誕生しています。機体設計は先進諸国に充分追いついていましたが、エンジン開発、無線や機銃、防弾性能などにおいては遅れをとりました。
午前十一時半に「軍艦行進曲」に続いて
とハワイ奇襲成功の報が流され、多くの国民が米英に対する帝国陸海軍の戦果を喜んだのです。
海軍は、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」などを擁する空母機動部隊と高い運用能力。
就役間近な世界最大46cm主砲9門を搭載した戦艦「大和」。
長く続いた鎖国によって独特な文化を育んではいたものの、資源も技術も何もない日本が明治の開国後に、法や政治、軍、を急速に整備し西洋列強に追いつけ追い越せとまい進してきましたが、多くの国民は苦しい生活を強いられていたそのなかで初戦の勝利は「とうとう列強に追いついた」と国民が歓喜した、そんな瞬間だったように思います。
決して戦争を賛美する訳ではありませんが、国家的な目標をたててそれに向かい何十年も準備してきたからこその「開戦」であるのですが、今の我が国にはそのような長期視点にたった安全保障環境の整備ができているのでしょうか。
平和の維持には多くの時間と費用、人材と時間が必要で充分な準備ができていないと、相手につけ入る隙を与えることにならないかと心配になります。
戦争を忌み嫌うあまりに、不都合な状況に目を瞑り続けるのはあまりにも不誠実で、日本がチベットやクリミアのようにはならないとは誰も保証できないでしょう。
過去に日本が至った道のように、どの国であっても政治が世界を読み誤り、軍が能力を過信し、メディアが扇動し、国民がそれを支持すれば戦争はいつでも起こります。
歴史は流れの中で動くものですから一面的な見方は避けねばなりませんが、この日は昭和20年(1945)8月15日等とともに日本の転換点となったのは間違いがないと言え、しっかりと記憶し伝えていきたいと思います。
我が国では学生時代に学校教育であまりこのあたりを学ぶ事がないようですので、戦争を知らない人達にも色々と知っておいて欲しいと思います。
もう開戦から80年も経ったんですね。この戦争によって亡くなられた多くの方々のご冥福を祈ります。