海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

『追悼12月8日』

久しぶりに書いた気がします。
80年前の12月8日(昭和16年(1941年)12月8日月曜日)
午前7時にラジオ(当時の放送はNHKのみ)から「海ゆかば」が流され、続いて臨時ニュースが流れました。
 
大本営陸海軍部十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり】
 
この時点では、ハワイ攻撃の詳細が伝わっていなかったため、戦域を「西太平洋」と発表されています。
一般的には大東亜戦争(太平洋戦争)は、ハワイ真珠湾攻撃によって始まったと認識されていますが、実際の時間軸では、のちに《マレーの虎》と呼ばれた山下奉文中将指揮の陸軍第二十五軍が少し早くマレー半島に上陸し攻撃を開始。
ハワイが目標である第一航空艦隊は約1時間ほど遅れて真珠湾(正しくはパールハーバー:真珠港)を攻撃しています。
日本軍は同日一斉に多方面に攻撃しており、当時日本だった台湾の基地からも航空機が飛び立ちフィリピン・シンガポールを空襲。空母『龍驤』も攻撃機を発進させてました。
台湾には台南海軍航空隊(通称:台南空)があり、熟練の搭乗員であった横山保大尉が所属していました。横山大尉は九〇艦戦、九五艦戦、九六艦戦を乗機として基地航空隊に所属し支那方面で実戦経験を積み、その後に新鋭空母「蒼龍」の戦闘機分隊長、横須賀航空隊所属時(昭和15年6月)に、十二試艦戦(後の零戦)に搭乗、実用試験に従事したのち重慶上空において零戦隊初の本格的な空戦をおこない、零戦隊は敵機のほぼ全てを撃墜するという戦果を挙げました。
12月8日午前10時55分、横山大尉は53機の零戦を率い高雄基地を飛び立ちフィリピンのクラーク基地を攻撃し戦果をあげています。
大戦初期には優秀な技量と零戦の性能とが相まって撃墜数合戦ともいえる状況となり、その後に撃墜王と呼ばれる戦闘機搭乗員も多く生まれています。
有名なのは
・坂井の上官だったラバウルの貴公子『笹井醇一』
零戦虎徹『岩本徹三』
紫電改に乗り最強剣部隊・新撰組を率いた『菅野直』
・その部下の『杉田庄一』
・横山の2番機も務めた空の宮本武蔵『武藤金義』
・坂井・岩井が最強と称する『赤松貞明』
・その分隊で活躍した『岩井勉』などがいます。
勿論、陸軍航空隊も撃墜王が多数誕生しています。主な乗機は一式戦「隼」で『加藤建夫』(加藤隼戦闘隊で有名になりました)『黒江保彦』(のちの航空自衛隊空将補)など。
 
海軍の「零戦」はあまりにも有名ですが、他にも「紫電改」や陸軍の「隼」「飛燕」「疾風」など名機が誕生しています。機体設計は先進諸国に充分追いついていましたが、エンジン開発、無線や機銃、防弾性能などにおいては遅れをとりました。
 
 
午前十一時半に「軍艦行進曲」に続いて
【帝国海軍はハワイ方面のアメリカ艦隊並びに航空兵力に対し決死の大空襲を敢行しシンガポールその他をも大爆撃しました】
とハワイ奇襲成功の報が流され、多くの国民が米英に対する帝国陸海軍の戦果を喜んだのです。
 
続く正午には「君が代」に続き『宣戦の詔書』が発せられたことを伝えています。
 
海軍は、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」などを擁する空母機動部隊と高い運用能力。
高性能な艦上戦闘機零戦」と練度が達人の域にまで達していた「母艦搭乗員」。
ロングランスと呼ばれた必殺「酸素魚雷」を搭載して高い攻撃能力を持つ「陽炎型駆逐艦」。
就役間近な世界最大46cm主砲9門を搭載した戦艦「大和」。
反面低い兵站・輸送・哨戒・諜報・土木・工業力などや、統制がとれない組織などの問題も徐々に露呈していきます。
 
 
長く続いた鎖国によって独特な文化を育んではいたものの、資源も技術も何もない日本が明治の開国後に、法や政治、軍、を急速に整備し西洋列強に追いつけ追い越せとまい進してきましたが、多くの国民は苦しい生活を強いられていたそのなかで初戦の勝利は「とうとう列強に追いついた」と国民が歓喜した、そんな瞬間だったように思います。
 
 
決して戦争を賛美する訳ではありませんが、国家的な目標をたててそれに向かい何十年も準備してきたからこその「開戦」であるのですが、今の我が国にはそのような長期視点にたった安全保障環境の整備ができているのでしょうか。
 
平和の維持には多くの時間と費用、人材と時間が必要で充分な準備ができていないと、相手につけ入る隙を与えることにならないかと心配になります。
 
 
戦争を忌み嫌うあまりに、不都合な状況に目を瞑り続けるのはあまりにも不誠実で、日本がチベットやクリミアのようにはならないとは誰も保証できないでしょう。
 
過去に日本が至った道のように、どの国であっても政治が世界を読み誤り、軍が能力を過信し、メディアが扇動し、国民がそれを支持すれば戦争はいつでも起こります。
 
歴史は流れの中で動くものですから一面的な見方は避けねばなりませんが、この日は昭和20年(1945)8月15日等とともに日本の転換点となったのは間違いがないと言え、しっかりと記憶し伝えていきたいと思います。
 
 
我が国では学生時代に学校教育であまりこのあたりを学ぶ事がないようですので、戦争を知らない人達にも色々と知っておいて欲しいと思います。
もう開戦から80年も経ったんですね。この戦争によって亡くなられた多くの方々のご冥福を祈ります。