海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

十二月八日

76年前(昭和16年)の今日12月8日、日本は先の大戦に突入しました。(大東亜戦争・太平洋戦争)

歴史はシームレスですので、どこが発端かというのはなかなか分かりにくいものですが、この日が一つの区切りであることは確かです。

 

まずこの日に何があったのか。

日本時間12/8 03:19(現地時間12/7 07:49)帝国海軍第一航空艦隊(指揮:南雲忠一中将)の航空母艦(赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴)から飛び立った、一次攻撃隊、零式艦上戦闘機零戦)、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機の戦爆連合およそ180機が、米領ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊、および航空施設などを空襲しました。(後に第二次攻撃も実施)真珠湾には「特殊潜航艇・甲標的」5隻も侵入し攻撃を試み1隻が魚雷を命中させました。

戦勝に湧いていた世論ですが、米軍はもとより日本にも多くの戦死者がでています。ハワイだけでも日本側未帰還機29機、特殊潜航艇5隻、戦死者数およそ100名。これがいわゆる真珠湾攻撃です。(真珠湾以外の島の基地なども攻撃しています)

同じ日に帝国陸軍第二十五軍(指揮:山下秦文中将)が、マレー半島に上陸。 基地航空隊もフィリピンやシンガポールを空襲、空母龍驤がフィリピン・ダバオ空襲、海軍陸戦隊がフィリピン・バタン島米軍飛行場を占領しています。国力を超えた多方面作戦を実施したのには、陸海軍の作戦の妥協の結果なのか、戦力を見誤ったのかなど諸説多数。

ここでも多くの戦死者がでています。戦に無傷の勝利はありえません。

 

開戦に至るには日本側にも複雑な思惑が絡み合っています。

国土防衛(シーレーン確保・資源確保)のために南進する海軍、ソ連中国国民党共産党軍と対峙する陸軍、また世論をミスリードした朝日新聞などの新聞社、国民の熱狂に押されて政治力を高めた東条英機三国同盟や開戦に反対する元・総理の米内光正、連合艦隊司令長官である山本五十六、海軍きっての理論派の井上成美などとの軋轢、関東軍の暴走や日中戦争の長期化による疲弊。

そして一方のアメリカは第一次大戦で急成長し、その後余剰となった産業基盤とリソースを使い、高い失業率とマイナス成長を回復させたいとの思惑や、対日融和策(南部仏印からの撤退で資産凍結や石油禁輸の解除など)を政治的思惑から退けたルーズベルト・・・

 

結果として日本は負けましたが、西洋列強に支配されていた多くのアジアの国々は独立の道を歩み、戦争の悲惨さを現実のものとし今に伝えています。

またこの戦争は「戦争とはなにか」を考える重要な研究テーマにもなっています。現代は「戦争」は人類と切り離せないものと考え、代わりにそれを如何に限定的なものにするか、エスカレーションさせないか、なども重要な課題です。

 

戦史や軍事を学ばないことは、抑止の失敗に繋がり戦争の引き金にもなりかねません。もし避けられない時には、限定的戦闘に収める努力も必要です。先の大戦の犠牲者を悼むとともに、これからもしっかりと学んでいきたいと思います。