海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

終戦の詔書(玉音放送)について

今年も8月15日を迎えます。

最近の若い人の中には、この日が何かを知らない人もいるようですが、それは教育の失敗であり、伝えなかった大人たちの怠慢であると断じざるを得ません。国の歴史について学ばない事は亡国へまっしぐらです。今回はその点を意識して書きました。

 

さて、昨年は8月6日から8月31日まで一体何があったのかの大きな流れを書いておきましたし、2019年には終戦直前のソ連の非人道的な侵攻について書きました。今年は「玉音放送」で流された「終戦詔書」について纏めておきます。

 

読みやすくするため、ふりがなや句読点の付け足しや改行したりしていますので、原文ままではありません。そもそも新旧で字体も異なるので・・・で、ワシ的解釈超要約を併記しておきます。少し意訳もあるでしょうし、凡人が解釈するなんて畏れ多いですが昭和天皇ならお赦しいただけるでしょう(^_^)

 

          終戦詔書

【原文】

朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以って時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇 四国に対し其共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。

 

【要約】

私は、世界の情勢と我が国の現状を十分に考え、非常手段をもってこの事態を収拾したいので、私の忠義で善良な国民に告げる。私は政府に対し、アメリカ、イギリス、支那(中国)、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。

※朕=(天皇の一人称)

非常の手段とは聖断のことでしょう。大日本帝国憲法明治憲法)では、天皇主権であり元首であり大きな権限がありましたが、実際の運用上は、内閣(国務大臣天皇の了解を得ることが常でした天皇国務大臣の輔弼をもって承認するのみ)

大日本帝国憲法では天皇の決断は想定していないうえ、万一天皇が決断した事柄が失敗に終わると天皇の権威が落ちることや、責任を避ける意味もあったのでしょう。しかし終戦に関しては閣議で議論がまとまらず、また徹底抗戦派を抑える意味もあり最終決断は昭和天皇に委ねられました。


【原文】

抑々(そもそも)、帝国臣民の康寧図かり、万邦共栄の楽しみ偕(とも)にするは、皇祖皇宗遣範(いはん)にして、朕の拳々措かざる所 曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以も、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するにで、他国の主権をし、領土を侵すきは、より朕が志(こころざし)にあらず。

 

【要約】

国民が安らかに暮らし、世界とともに繁栄してその喜びを共にすることは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私もそう願ってきた。アメリカとイギリスの二国に宣戦布告したのも、我が国の自存と東アジアの安定を願ったためであって、他国の主権を排除したり、領土を侵したりするような行為はもとより私の意志ではない。

※遣範: 先人が遺したお手本。

▼《他国の主権を排し~朕が志(こころざし)にあらず。》 この部分、陸軍への非難でしょうか。

 

【原文】
然るに、交戦已(すで)四歳し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司励精(れいせい)、朕が一億衆庶(しゅうしょ)奉公、各々最善をせるにらず、戦局必ずしも好転せず。
世界の大勢、亦我に利あらず。加之(しかのみならず、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測べからざるに至る。

 

【要約】

しかし、開戦して4年がたち、陸海軍将兵よく戦い、役人も職務に励み、国民もよく奉公した。それぞれが最善を尽くしたのにも関わらず、戦局は好転しなかった。世界情勢もまた我々に不利であり、そのうえ敵は残虐な新型爆弾を使用し多くの罪なき人々を殺傷し、この被害がどこまで及ぶかもわからない

※新型爆弾=原爆

▼何度も繰り返し「朕が」と言及しているのは、陛下の国民に対する愛情の表れではないでしょうか。また無辜の市民を虐殺した原爆を非難しつつも、これ以上の惨劇は避けたいとの想いが伝わります。

 

【原文】

(しか)も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延ひいて人類の文明をも破却すべし。斯の如くむは、朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊いに謝むや。
是朕が帝国政府をして共同宣言に応しむるに至れる所以なり。

 

【要約】

戦争を続けるなら、我が民族の滅亡を招くだけではなく、ひいては人類の文明をも破壊するだろうそうなれば、私はどうやって我が子国民守り、歴代天皇にお詫びできるだろうこれこそ私が政府に対し、ポツダム宣言受諾するようにした理由である。

天皇は国民の安寧を願い祈るのが代々続いてきた責任であり、それを果たせないことは申し訳が立たない。つまり我が子のように思う日本民族をなんとしても守りたい心情が現れています。

 

【原文】

朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃たおれたる者、及び其遺族に想いを致せば、五内為に裂く。且戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念しんねんする所なり。惟(おもう)に、今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾(なんじ)臣民の衷情も、朕善く之を知る

 

【要約】

私は、我が国とともに終始東アジアの解放に協力した友好国に対し、遺憾の意を表明する。我が国民が戦死し、職場で殉職し、不幸にも死んだ人々、またそれらの遺族のことを思うと心から悲しみに耐えない。

また、戦傷を負ったり、戦禍にあったり、家業を失った人々のこれからを考えると心が痛む。今後我が国が受ける苦難は尋常ではないだろう。そのような国民の心も私はよくわかっている。

※五内全身

 

【原文】

然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在あり。
若し夫(そ)れ情の激する所、濫(みだり)に事端を滋くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。

 

【要約】

しかし、時世の変化はやむを得ないので、耐えがたいことを耐え、忍び難いことも忍び、未来の平和を求めたい。
私はここに国体(天皇を中心とした国柄)を護持し得て、国民の忠節の心を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに事件をおこしたり、同胞を排斥したりして世の中を混乱させ、人の道に外れるようなこととなって世界から信義を失うようなことは、私が最も戒めることである。

▼国柄についての議論は大日本帝国憲法制定時から続いていますが、「君民一体の一大家族国家」論(天皇家が宗家で天皇は家長であり、臣民はその子供たち)を私は想定しています。

ポツダム宣言受諾=無条件降伏と一般的に言われていますが、国体護持のみの条件(一条件)降伏を受け入れることとしました。あやふやな解釈ができるポツダム宣言であったことも受諾が遅れたのも要因です。

▼また天皇日中戦争時から陸軍を信用しておらず、軍の暴走(クーデター)を警戒しており、急ぎ決断する必要があるとして、14日の御前会議は天皇自ら招集しています。

▼開戦に至る過程もそうなのですが、大日本帝国憲法には制度上の不備が多く見られます。世界情勢に即した政治的機構や戦略的意思決定などが迅速に行えないため、天皇の決断を仰ぐ事態となりました。激変する日本と世界に憲法が規定する制度が追いついていませんでした。現行憲法についても同様になりつつあるのではないでしょうか。

 

【原文】

宜しく挙国一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)を鞏(かた)くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民、其れ克く朕が意いを体せよ。

御名御璽(ぎょめいぎょじ)

 

【要約】

挙国一致して子孫に受け継ぎ、我が国の不滅を信じて、その道のりは遠く責任は重いと思うが、国家の再建に向けて、全力で未来を建設しよう。

道義心を大事にして、信念を固く持って、我が国の良いところを発揮し、世界の進歩に遅れをとらないようにして欲しい。国民よ、私の気持ちを汲み取ってほしい。

 

 

これが全文で「玉音放送」として天皇陛下昭和天皇)の肉声がラジオで流れました。よく聞く部分は最後のほうですね。なぜマスコミはあの「耐えがたきを耐え・・・」の部分だけ取り上げるのでしょうか。全文を読まないと真意がわかるとは到底思えませんが。

 

この詔書は漢語が混じっているうえ、当時の教育水準と、放送の音質、さらにレコードの録音盤であったこなどから考えると、当時の全国民が十分理解したとは思えないですが、軍上層部や政府、官僚、知識人には陛下の平和を希求するお気持ちが十分伝わる内容であったのではないかと思います。

 

詔書の起草は思想家の安岡正篤によるものとされるので正確にお心をあらわしたものでは無いかも知れませんし、閣議で文言が少し変更されたています。そののち昭和天皇ご自身によって読み上げられレコード盤に録音されました。

 

草案の段階でも経緯は色々ありますが、詔書昭和天皇が読み上げられた時点で「詔勅(しょうちょく)」となり、陛下自身のお言葉でありこれは絶対的なものです。

あの時点でもし昭和天皇がこの詔書に異を唱えるような事があれば、さらに終戦は遅れ3発目の原爆を投下されていたかもしれず、その点を勘案して昭和天皇ご自身はそのままお読みになられたのだと解釈しています。

 

昭和天皇は開戦に反対していたことは有名ですが、終戦において全責任を背負う覚悟でこの言葉を発せられました。まず最初の一文で「私がポツダム宣言受諾するよう政府に命令した」と読めますからね。

 

また最後まで我が国と国民の未来を案じておられた事が良く分かると思います。特に内乱は心配されておられたようです。

 

こうして多くの血を流して得た平和ですが、近年ロシアや中国などの専制国家によって乱されています。どのようにすれば良いのかしっかり考え続けていきたいと思います。

 

 

時折アップするだけの貧弱なブログ「海洋立国論」ですが、誰かが少しでも我が国について考えるひとときにして貰えれば幸いです。