あの戦争をなんと呼ぶべきか
今年も12月8日がやってきます。毎年この日には何かを必ず書くようにしています。
まず社会の歴史の時間みたいですが、時間軸を一旦整理してみます。学生時代には歴史の授業が嫌いだったんですけどね。
支那事変は元々は北支事変であったものを支那事変(1937/7/7・盧溝橋事件を発端)と呼び変えました。→戦後日中戦争と呼称を変えましたが、当初は宣戦布告がない武力衝突だったため、『事変』と呼称しています。
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12/10 オランダが日本に宣戦布告
1942(昭和17年)1/12オランダに宣戦布告
1945(昭和20年)8/14ポツダム宣言受諾 9/2調印・発行
1952(昭和26年)4/27サンフランシスコ平和条約発効
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陸海軍で想定する主な戦域・相手国がそれぞれ異なる事や、海軍は『太平洋戦争』を呼称として提案していたり、他の呼称もいくつか検討課題になっていたようです。
この要領をうけて海軍は11/5に『大海令(海軍・天皇の決裁を受けた命令書)第一号』を発令しますが、そこには「自存自衛のため米英蘭に対し開戦を予期し戦争準備をする」としか書いていません。
大陸命(陸軍・同じ)には、「大東亜共栄圏の建設」と『大東亜』という言葉を明示しています。
陸海軍夫々の思惑の違いが読み取れます。海軍は自衛の為に米軍を接近させないことを主眼とし、陸軍は資源確保の為の南進を主眼としています。
対日禁輸処置を受けて東アジアへ資源確保に向かうのか、資源確保を確実にするために米軍を接近させないのか。とにかくこの段階でも呼称は決めていません。
▲戦後
【太平洋戦争史】
1945(昭和20年)12月8日
GHQが新聞に連載した「太平洋戦争史」が『太平洋戦争』の呼称が広く認識された始まりで、以降日本の学会や研究者の出版物にも『太平洋戦争』の呼称が広く使われるようになっています。
【指令の失効】
1952(昭和27年)年4月11日に公布された法律第八十一号(昭二七・四・一一)【ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律】
によって、すでにこの指令の効力は失効していますので、公的には『大東亜戦争』と呼称しても差し支え無いことになります。
【何を使っているか】
法令には『今次の大戦』や『太平洋戦争』が使われ、『大東亜戦争』は使われていません。
国会図書館の分類は『太平洋戦争』で統一されています。
防衛研究所によって編さんされた公刊戦史『戦史叢書』はタイトルに『太平洋戦史』とも『大東亜戦史』ともせず、単に『戦史』としています。
日本的玉虫色な感じがします。
【論争は続く】
呼称については当然論争があります。決着していません。
開戦前には海軍も『太平洋戦争』を提唱していましたが、地理的には正しくなく中国戦線を無視しているようになりますし、『太平洋戦争』という呼称は既に中南米での戦争(1865-66、1879-84)で使用されているので、不適切という指摘もあります。
陸海軍どちらが主体であったかで分離する訳にもいかないでしょう。
当時の欧米列強に並ぶべく植民地を持っていた日本が、解放を謳う矛盾がありつつも、結果としては英国などは日本の進出によって植民地の多くを失ったのも事実であり、その後に多くの国は独立を果たしました。これも事実です。
【ドナルドキーン氏の意見】
『昭和戦争』
『極東戦争』
と呼称する提案も欧米にはあったのですが、「極東」という視点はあまりにヨーロッパ中心主義的であり、欧米がそのような呼称を用いるならば、『大東亜戦争』も日本視点ではおかしくはないことになります。
【合意は得られるか】
イデオロギー性を排除して合理的かつ科学的で地域・相手・時間を表現できる呼称。
なかなか見つかりそうにありません。
戦争目的も定まらず、両論併記や玉虫色で決着させ、戦争指導も右往左往した戦線の日本。
呼称すら決められずにいる戦後日本。
簡単に民族性は変わらないということでしょうか。
因みに私は『先の大戦』と呼んでいます。
皆さんはどうですか。