病院船は不要なのか
覇権国のプライド
明日は「終戦記念日」です。この時期になると左右両方で騒がしくなりますが、まずは多くの亡くなった方々へ(国籍問わず)安らかにお眠りくださいと祈らずにはおられません。
今年はそれにもまして北朝鮮関係でも直接的に脅威を受けています。
そこで今回はウォールストリートジャーナルに寄稿された、アメリカのティラーソン国務長官、マティス国防長官の連名記事を引用して「覇権国としての安全保障とはなにか」を考えたいと思います。
要約すると・・・
2.オバマ政権時の「戦略的忍耐」政策を、戦略的に責任を追及する政策に変更する。
3.アメリカの目的は朝鮮半島の非核化であり体制には興味が無い。
4.中国の長期的利益に不利益であるので中国は役割を果たせ。
6.アメリカは北朝鮮と交渉する意思がある。
7.韓国へのTHAAD配備は防衛目的であり軍事に精通した中国軍人は理解しているので共産党も理解せよ。
8.北朝鮮に対して中国にさらなる干渉を望む。さもなくば自国の保護のためアジア諸国は防衛能力を高めざるを得ない。
9.中国とロシアは北朝鮮を説得せよ
10.アメリカは、米国土と米国民、同盟国を守り、北東アジアの安全と安定に寄与するための軍備を維持する。アメリカは核兵器が使用されれば圧倒的な力で対処する。
まさに言うべきことを言った感じです。
過去にも何度か書きましたが、アメリカは現在「民主的な覇権国」の地位にいます。
この寄稿文の一文に「わが国は外交を通して北朝鮮に方針を改めさせることを優先しているが、その外交は軍事的選択肢に裏打ちされている。 」と言う部分があります。まさに冷厳に現実を反映しているのではないでしょうか。
今回の寄稿文ではっきりしたのは、「半島の非核化」「中露の積極的干渉」「軍事オプション」ですが、日本もいつまでも現実を見ない生活はできない時代になってきています。
第二次安倍政権になってから「自主外交」としての成果は見えてはいますが、まだアメリカほどの言葉を発することはできませんし、まだまだ世界(少なくともアジアの安定)の為に役割を果たせているとは思えません。皆さんはどう考えるのでしょう。
兎にも角にも明日は心静かに祈りたいと思います。
広島・長崎
8月5日は核の年表 8/7は核の効能 核兵器の分類と続けてきました。9日は長崎に原爆が投下された日ですが、この期間は核をテーマに纏めてきました。最後になぜアメリカは原爆を使用したのかを読み解きます。
一般的に4つの理由があげられていますが、まずはそれをおさらいしたうえで、掘り下げていきます。
理由1 ソ連の対日参戦に伴い、日本の分割統治を防ぐため(共産主義の成立を防ぐ)
理由2 戦後のパワーバランスをアメリカ主導としたい
理由3 終戦を早め自国の被害を抑えたい
理由4 リメンバー・パールハーバー
などが良く言われますが事実は一つであるとは限りませんし、通説が正しかどうかも分かりません。そこを今回は掘り下げて考えてみます。
「ヤルタ会談前にすでに話し合っていた」
1945年ナチスドイツの敗戦間近に伴い開催された「ヤルタ会談」において取り決めた「ヤルタ協定」によって、ドイツの敗戦後3カ月以内にソ連が対日戦に参戦することが決まっており、その条件として「千島列島、南樺太のソ連への帰属」などがあった。となっていますが、実はその前の1943年11月22日にカイロ宣言、11月28日にテヘランですでにソ連の対日参戦は極秘で協議されています。
ソ連を参戦させる理由はどこにあるのでしょうか。アメリカは陸軍の「上陸作戦必至」(アメリカ兵に多大の出血を強いることになる)海軍の「海上封鎖、空襲で十分」(アメリカ側の被害は少なくすむ)でしたが、本土は「封鎖・空襲」でよくても、満州はそうはいきません。ソ連の参戦があれば早期に日本を屈服させられると考えました。
日本の真珠湾攻撃を利用し、プロパガンダによりアメリカ国民を一つに纏め対日戦を行っていたルーズベルト大統領率いるアメリカですが、東洋の島国にまさかこれほど苦戦するとは思ってもいなかったので、早期に戦争を終結させたいのはあったと考えられます。
その為、ルーズベルトはスターリンに千島・南樺太・旅順・大連・南満州鉄道の経営までも譲り参戦を取り付けました。しかし、ソ連が南進し日本をドイツのように分割統治する可能性があったため、原爆で降伏を強要した。と通説ではなっています。
ヤルタ会談の時期に日本はすでに、レイテ沖海戦で敗北しペリリュー島守備隊玉砕、マニラで米軍が市街戦に突入など、一方的な状況でした。しかし地上戦が多く米軍の被害も相当なものであったのは確かです。
本来のソ連の参戦予定は8月11日、アメリカの原爆投下を知り慌てて8月9日に参戦(極東ソ連軍総司令部に命令)しました。
「原爆関連開発は真珠湾より先」
1939年には核分裂の連鎖反応でエネルギ―が放出されることはわかっており、1940年5月には全米科学アカデミーは「原爆の製造は4~5年で可能」と報告しています。
実際にアメリカの原爆開発が始まったのは1941年12月6日(議会で予算が通過)で、日本の真珠湾攻撃よりも前です。
そして当時の原爆は数トンの大型と想定されていたため、運搬手段として大型爆撃機が必要とされ、大型長距離爆撃機(後のB-29)の開発が指示(設計の要求書)されたのは1940年1月、初飛行は1942年9月です。巨額の予算を必要とする巨大爆撃機を4000機ほど生産(予算では9000機)しましたが、対ナチスドイツだけで使用するより日本も相手としたほうが議会も承認しやすいでしょう。
「日本は既に疲弊していた」
また、戦争末期には米海軍は機雷によってあらゆる海域・港湾で「海上封鎖」しており、日本本土は国内での物流すらままならず(道路網が今とは比べ物にならない)、そのうえ5万人以上の人口のある都市はほぼ全て爆撃されています。その爆薬の投射量は2発の原爆と同程度あり、日本の防空能力はすでに無いに等しい状態でした。
しかし初めから候補地としてリストアップされていた4都市「広島・長崎・小倉・新潟」には爆撃しておらず(但し長崎は三菱の軍需工場がありそこは爆撃されています)当初から使うつもりであったのではないかと思います。空襲によって日本は疲弊しきっており、4月には終戦工作を始めているにもかかわらずです。
原爆は3発完成しており、1発は実験で残りは2発。爆撃条件(地理・気象など)も設定されているうえ、残った2発は「ガンバレル型」と「爆縮型」でタイプが違うのも実験的な意味があります。
「分割統治論」はなぜ生まれたか
アメリカはソ連の太平洋への海洋進出を抑えたいため、日本本土(北海道)の占領は絶対に阻止しなければならなかったのですが、広い北海道の占領には相当の日数がかかる事が予想されます。
ソ連の参戦日は分かっているので、それまでに降伏条件の緩和によって降伏を早めることや、夜間に東京湾上空、(それも高度を十分とって)爆発させれば十分に日本への威嚇効果、ソ連への示威行為として効果があったのではないでしょうか。この案は実際に開発者が提言しているようです。
それを無視しあえて2発も使用していることからも「分割統治論」も要因、もしくは後付け理由かもしれません。
「爆撃ありき」
また、爆撃目標を設定するにあたって提示された条件が、
1・B-29の航続範囲内
2・爆撃効果判定ができる場所
3・天候が良いことが予想される場所
4・爆撃不可能だった場合の代替地の選定
5・日本国民に衝撃をあたえ戦争終結を早める効果をあげる 6・士気をくじくこと
となっていますので、やはり爆撃ありきのように感じます。
さらに条件として半径1.6kmに建物が密集していること、軍事施設があること、爆撃の影響をうけていないこと などがありますので、やはり試験的な要素が強いように思えます。
「プロパガンダ」
リメンバーパールハーバーとして真珠湾を奇襲されたことへの復讐という通説もありますが、これはまさに対日参戦のためのプロパガンタです。
日本は軍事基地を攻撃しただけで、民間人の多く住む都市まるごと焼き払われる理由としては通用しないでしょう。
真珠湾奇襲は大使館の手違いで通告が遅れたのですが、アメリカ自身も他の戦争では奇襲攻撃をしています。しかし、真珠湾攻撃は米国民にとっては忘れがたい事実。それを上手く政権が利用したのではないでしょうか。
なんといっても黒船で日本を開国させたと思ったら、太平洋艦隊の戦艦をごっそり沈められたのですから。
つまり「通説」はそれぞれ 一要素として考えるくらいではないでしょうか。それよりもアメリカ市民が原爆の惨状を知った時、「自国兵士の被害を最小限に抑えるためだ」「共産主義の台頭を防ぐためだ」としておいたほうが、国内対策としても望ましい結果を生むでしょう。
そもそもアメリカはナチスドイツのユダヤ人虐殺を「ホロコースト」と称して激しく非難しています。その一方で都市を無差別爆撃し(日独問わず)、大量の一般市民を殺すのですから、その行為を正当化できる理由が必要です。
また、ドイツ系アメリカ人やイタリア系アメリカ人はアメリカ人として兵役にもついていますが、アフリカ系は危険な最前線へ送られ、日系アメリカ人の多くは強制収容初に収容し、資産凍結もされています。人種差別的な考えがあったのは否定できないところでしょう。
「政権のために」
ルーズベルトの急死に伴い、急きょ大統領になったトルーマンは政権基盤が弱く、次の選挙で当選しなければなりません。その為には国民が「そうだ。正しい判断だ」と思える理由が必要だったのかもしれません。
日本に対しては戦後の占領政策をスムーズに進めるため、アメリカを正義の味方とし、日本国民は指導者と軍部に騙された被害者としておく必要があります。こうしないと、内戦や一部の抗戦派が抵抗したりして占領統治が難しくなります。また反米に傾くと共産主義に走るかもしれません。それは絶対に避けなければなりません。
これらを考えていくと、日本人相手の新兵器の実験が主目的では無かったのかと思えます。どのような兵器であれテストされますが、実践で使う事でその威力と効果が証明できます。原爆もその延長線上ではなかったのか。とも考えられます。
しかし、兎も角オバマ大統領は広島を訪問し、安倍総理は真珠湾を訪問したのです。誤った認識は正さなければなりませんが、今はよりよい世界に向けて進む努力をしたいと思います。
核の分類
核兵器と一口に言っても様々な分類があります。国際間での交渉上便宜的に分類されている程度で特段に国際的な取り決めがあると言う訳ではありませんが、一般的になっているものをここで整理しておきたいと思います。
当然ですが、核兵器は「弾頭」(核)と運搬手段が組み合わさっています。
ミサイルに搭載すれば核ミサイル、爆弾で爆撃機などで運搬し投下するなら核爆弾というふうに。
運搬手段であるミサイルも、「弾道ミサイル」と「巡航ミサイル」があり、アメリカは巡航ミサイル「トマホーク」に核弾頭を載せていた時代もありました。今はありません。
今回は核の運搬手段として一般的な「弾道ミサイル」の基礎知識です。弾道ミサイルは文字通り、ロケットと同様に打ち上げて弾道コースを飛行し高速度で自由落下させるものです。
このため、命中精度は他のミサイルに比べて低くなっています。巡航ミサイルやSM-3ミサイルのように誤差数センチ~数十センチの精度ではありません。
巡航ミサイルなどは当たるまで制御されるのにたいして、打ち上げ後はミサイルにお任せが基本だからです。ピンポイントで命中しない以上、核弾頭を搭載し周囲を一気に薙ぎ払うのがコンセプトです。
ミサイルの命中精度を表す指標に半数必中界(CEP)というのがあります。
わかり易く言えば、10発撃ったらその半分がどのくらいの範囲に落ちるか?です。ソ連のミサイルは100~200mくらいと言われますが、開発した国よってかなりバラつきがあるようです。
そのことを考えるとやはり弾道ミサイルは核とのセットで運用するのです。
核弾頭はミサイルに搭載する以上、小型化する必要があります。ミサイル弾頭部の容積を超えることはできませんし、重いと飛距離が落ちることになるからです。さらにもっと小型化すると複数の弾頭をミサイルに搭載でき、一発のミサイルで広範囲に攻撃が可能となります。複数の弾頭をそれぞれ誘導できるとすると一発のミサイルで複数の拠点を同時攻撃できることになります。北朝鮮の核開発ではミサイル技術も勿論ですが、核弾頭の小型化が重要なポイントになります。
発射軌道は概ね3種類あります。
(1)ミニマムエナジー軌道・・もっとも効率的に遠くへ飛ばす軌道ですが、高度をとらない為、位置エネルギーが少なく多少落下速度(終末速度)が遅くなります。
(2)ロフテッド軌道・・北朝鮮のミサイル実験で有名になりました。高く打ち上げてその位置エネルギーを使って落下速度をあげます。迎撃が難しくなります。
(3)ディプレスト軌道・・高度を抑え発見されにくくする軌道。あまり使われないか。
もともと大気圏外から一気に落下する弾道ミサイルは非常に高速で迎撃が難しいのです。
この弾道ミサイルにも飛距離に応じて分類があります。
(1)大陸間弾道弾(ICBM) 射程5500km以上(6400kmという場合もあり)
(2)中距離弾道弾(IRBM) 射程2000km~6000kmくらい
(3)準中距離弾道弾(MRBM) 射程800km~2000kmくらい
(4)短距離弾道ミサイル(SRBM) 射程~800kmくらい
発射システムの仕組みも現在はおよそ3種類あります。
(1)固定サイロ・・・地下に埋めた発射筒から打ち上げるもので、大型の弾道ミサイルはこの方式を使っていますが、サイロの場所が特定されるため、先制攻撃の場合は先に狙われます。
(2)移動発射式・・・車輪や軌道(キャタピラ)の違いはありますが、大型車両から発射するもので、北朝鮮の軍事パレードでミサイルを載せていた映像を覚えているでしょうか。
(3)潜水艦・・・勿論潜水艦から発射するものですが、潜水艦なので自分の場所が代わります。見つかりにくい代わりに命中精度は低めになります。また、長期間海中に隠れる必要があるため、通常は原子力潜水艦が使われます。
発射にあたっては、ホットローンチ方式とコールドローンチ方式がります。ホットローンチは、発射筒内でエンジン(モーター)を燃焼させ発射するのですが、燃焼の熱で内部が傷むため再利用ができない場合があります。その為今はコールドローンチという発射方式が主流で、まずは圧縮空気(ガス)などで発射筒の外に送り出し、その直後に点火します。技術的にホットローンチよりやや難しいものです。
燃料は液体燃料式と固体燃料式がありますが、コントロール性や推力は液体燃料式が優れ、運用性は固体燃料式のほうが優れています。
核の効能
前回、かなりおおざっぱに、核兵器の歩みを取り上げましたが、ではなぜ核兵器(とその運搬手段)はこれほど必要とされているのかということになります。
名目は「抑止」です。核兵器は変わった兵器で「相対性」がありません。どういう事かというと、例えば同性能の大砲があるとします。Aが100発の砲弾を所持しBは10発所持しています。このとき、命中精度が同じとしたら撃ち合うと一般的にはAが勝つと予想されます。
核兵器の場合はこうはなりません。たった1発でも食らえば耐えがたい被害を被ります。ですから数でいうと圧倒的なアメリカでさえ核保有国に対し先制攻撃はしていません。
冷戦時代に定着した考え方に「相互確証破壊」というものがありますが、これは核保有国同士が核戦争に至った時に先制攻撃をされた側が、核攻撃能力を残存させ核による報復を行う。この事で相手側の核による先制攻撃を抑止するものです。米ソ冷戦の時には互いに人類を何度も破滅させる数(オーバーキル)の核兵器を主に3つの手段で保有していました。
手段としては、
(1)射程の長い戦略核として地上発射型大陸間弾道ミサイル(ICBM)
(2)潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)
(3)戦略爆撃機による核攻撃です。
他に射程の短い戦術核(射程500km以下)を多数保有しています。
冷静時代に西側陣営(NATO)は通常戦力で東側陣営(ワルシャワ条約機構)に及ばないため軍事的脅威を感じ、アメリカの「核の傘」にはいることになります。
特に西ドイツは深刻でした。ベルリンの壁の向こうは東側陣営であるうえ、敗戦によって軍備の制限がされていたからです。初期はICBMは開発されておらず爆撃機によるものでした。
その後にロケット(ミサイル)開発合戦が始まり、ミサイル配備合戦となりました。
もう一つの攻撃手段であるSLBMは戦略原潜と呼ばれる大型の原子力潜水艦に装備される弾道ミサイルです。地上が核によって破壊されても海中にいる潜水艦には影響がありません。その潜水艦から反撃を行うのです。
これによっても「相互確証破壊」が成立します。現在は潜水艦の数が削減され発射管には「巡航ミサイル」が搭載される型に改修されているものや、艦体の大きさを活かして対テロ特殊部隊を運ぶタイプもあります。
この「相互確証破壊」のロジックは、相手が理性ある国家などであることが条件です。一度核攻撃を始めてしまったら取り返しがつかないーだからやめておこうーとなるだろうと相手をある意味で「信用」していないとできません。
弱小国や国家体制が破たんしかけた国、テロ組織には通用しない考え方ですし、北朝鮮の例のようにアメリカに通常戦力で劣る国は核をはじめとする大量破壊兵器の誘惑にとりつかれるのです。
一方で「核による破滅は明らかであり、核戦争に至るリスクのある戦争はおきない」とする楽観論があります。反対に「管理者の能力や地理、政治などによっては危険性が高まる」とするものもあります。
我が国は核武装はしていませんが、アメリカの核の傘(拡大抑止)に頼っています。
この核の傘(同盟関係と同じように)については「見捨てられる恐れ」があります。
例えばヨーロッパをロシアが核攻撃した場合に、アメリカは本国が核攻撃される危険を承知でロシアに核の報復をおこなうのか?ということです。
そこでNATO諸国は独自の核装備をする国(イギリスはアメリカから購入・フランス)や核のシェア(ニュークリアシェアリング)によって核抑止を保有する国(ベルギー・オランダ・ドイツ・イタリア)があります。
日本も同様で北朝鮮や中国の核攻撃や威嚇があった場合にアメリカは反撃するのか?が「核武装論」を唱える人の論の一つにもなっています。我が国の現状を考えると「信用するしかない」のが実情ですが先ほどまで書いたことを考えると、不安があるのは理解できます。
ただし、日米同盟はNATO以上にアメリカ本国の安全保障に寄与しているため、日本が裏切られるとNATOもアメリカを信用しなくなり、アメリカの覇権国としての信用は失墜します。
因みにアメリカは日本から追い出されるような事態や、軍事的独立、極端な右傾化を避けようとしています。アメリカにとって日本が非常に重要な位置にあるからです。(ここでは詳しく述べませんが、中国や韓国は兎も角としてもアメリカまでが、我が国の首相の靖国神社参拝を反対する理由のひとつです。)
1946年バーナードブロディというアメリカの国際政治学者が、その論文集「絶対兵器」で「核の時代の軍は勝つことが目的では無く戦争を回避することである」と言い抑止力の維持を課題としています。
日本帝国陸軍の石原莞爾(関東軍参謀)は最終戦争論とした講演の中で「戦争発達の極限が戦争を不可能にする。例えば戦国時代の終りに日本が統一したのは軍事、主として兵器の進歩の結果であります。 ~中略~ 。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねはなりません すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。 このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。 」と言います。
この核の現実を耐えて忍び英知を結集し、また多くの痛みを生みだして、ようやく次の時代が来るのかもしれません。その副作用は尋常ではありませんが、これこそが本来「核」の持つ最大の効能かもしれません。
現在は国家の上位の権力機構は存在せず、ある意味無秩序な時代です。「次の時代」とは「世界政府」が生まれ秩序が保たれる時代のことを言うのかもしれませんが、それは現段階では「夢想」に過ぎないことも理解しておくべきではないかと思います。
核の年表
もうすぐ日本にとって大切な日がやってきます。そうです。8月6日と9日です。広島と長崎に原爆が投下された日です。勿論人類史上、核攻撃はこの前後にはありません。そこで核について振り返ってみたいと思います。
日本の核保有論も取りざたされますが、その事については2,015年9月7日に纏めました。
今回は核についての年表です。
1945年7月 アメリカ人類初の核実験成功
1945年8月 広島・長崎に原爆投下
1949年 ソ連核実験成功
1952年 イギリス核実験(1956年核兵器配備)・・・2020年以降もSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)による核抑止力を維持する方針
1960年 フランス核実験
1962年 キューバ危機
1964年 中国核実験(ソ連より技術移転)・・・日本を含むアジア向けの中距離、台湾向けの短距離の弾道ミサイルを数多く保有するが、情報開示が不透明なため詳細は不明
1966年 フランス・NATO軍事機構より脱退したため、独自の核抑止力を保持する。
現在は「死活的な国益保護のため核抑止力の保持」を明言
1970年 核不拡散防止条約(NPT)発効 (1995年に無期限延長が決定)
1972年 米ソ・弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)を締結・・・両国とも十分な書く報復能力の保有によって「相互確証破壊」を成立させるため迎撃ミサイルの開発を制限。(アメリカの脱退によって2002年無効化。)
冷戦期は日本・欧州(NATO)は米の「核の傘」(核による拡大抑止)に入る
1974年 インド核実験(NPT未加盟)
1987年12月 米ソ・中距離核戦力全廃条約(IMF)を締結
1991年 ソ連解体
1993年 北朝鮮NPT脱退宣言(核開発疑惑に反発)
1996年 包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連総会で採択(未発効)
1998年 インド・パキスタン核実験
2002年5月 米露・戦略攻撃能力削減に関する条約(SORT)に調印し核の削減が始まる。
2002年 イラン核開発疑惑(イランはNPT加盟国)
2006年 北朝鮮核実験
少しづつでも核廃絶に向けた努力は続いており、核戦力は削減されつつあるものの、核の技術は拡大を続けています。また、ある意味で相互信頼に基づいた「核抑止力」は崩壊しつつあるでしょう。テロ組織や破たん国家など、「失うものが無い」国や組織が使う事は十分にあり得ます。
一方、消極的な方法ながら「非核兵器地帯」と呼ばれる地域ぐるみで核兵器の一切を放棄する(開発・保有・使用・威嚇も)条約締結地域もあります。
核は間違いなく「非人道的な兵器」です。戦闘員以外の民間人を攻撃、もしくは人質にとるような行為の兵器です。如何に核を無い世界を作るか。夢物語を語るのでなく現実を見据え乍ら考えたいものです。
「ブレイクスルーとイノベーション」
ブレイクスルーとは、進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語 。
イノベーションとは物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。 (共にウィキペディアによる)
どちらも言葉にはポジティブな意味があり、多くの方のイメージもそのようなものでしょう。でも物事にはポジとネガがあるのはご承知の通り。一般にはネガのイメージで語られる軍事の世界でも同じ状況があるのです。
「V1飛行爆弾」
今年4月6日に米軍が巡航ミサイルによってシリアの空軍基地を攻撃しましたが、この巡航ミサイルの元を辿ると、ナチスドイツのV1に辿りつきます。当時のナチスドイツの正面の敵はイギリスでした。しかし占領したフランス沿岸部からロンドンを直接攻撃できませんでした。ドイツの各都市をイギリスに爆撃され報復に燃えるナチスドイツはV1(通称:飛行爆弾)を開発します。
これは現代では無人攻撃機ドローンや巡航ミサイルに該当する攻撃兵器です。爆弾に羽根とエンジンを取りつけ無人機化し攻撃するのは「イノベーション」といえるでしょう。
V1は2万発以上発射されイギリス本土に被害を及ぼしましたが、現在のように慣性誘導やGPS誘導が不可能であったため精密攻撃はできませんでした。また、発射器は固定の大型のものは連合国側に発見され爆撃されるため、組み立て式の移動式発射台を開発しました。現在のTEL(移動式発射機)に通じるものがあります。
「V2ロケット」
そして悪名高いのがV2ロケットです。こちらは現在の弾道ミサイルに相当するもので、技術的なブレイクスルーを多く成し遂げなければできなかった兵器です。アメリカが人類を月に送りこんだアポロ計画を主導した、フォンブラウン博士の開発によるものです。戦争終盤から戦後にかけては米ソがロケット技術者の確保合戦を繰り広げました。
「ティーガーⅠ戦車」
知られていないのが、フェルディナント・ポルシェ博士のことです。ポルシェ博士とは、そうあのスポーツカーのポルシェの源流の天才自動車工学者です。フォルクスワーゲン・ビートルや、多くの航空機用エンジンも生みだし戦闘機に採用されています。そしてヒトラーの依頼によってそれまでの4号戦車に代わるティーガー戦車の開発を行っています。
ナチスドイツは1号戦車から4号戦車までドンドンと大型化していきましたが、それでも当時のソ連のT-34戦車には対抗できませんでした。そこでさらに大型のティーガー戦車の開発が始まり、ヒトラーのお気に入りだったポルシェ博士にも開発依頼がきたのです。
この開発は試作のみで制式採用とはなりませんでしたが、(採用されたのは競争相手のヘンシェル社)ポルシェ博士のティーガー戦車の駆動方式が画期的でした。通常はディーゼルエンジンを搭載し変速機を介して駆動力を伝えますが、博士はディーゼルエンジンを発電用とし、その電力で駆動輪についているモーターを動かすというものです。
この方式は現在ではニッサンのNOTE e-powerに相当しますね。
「V3 15㎝高圧ポンプ砲」
マイナーですがV3という兵器も存在します。
これはロンドンを直接砲弾で攻撃しようとした巨大な大砲ですが、普通の大砲とは仕組みが大きく異なります。砲弾を長距離飛ばすためには、炸薬(火薬)が大量に必要で砲身内(薬室)で大爆発させてその爆発力を利用することと砲身を長くする必要があるのですが、砲身が長くなると自重でたわむ事や、炸薬の爆発力に薬室が絶えられないなどの問題が発生します。それを解決するため、砲身をいくつもに分けて製造し、(全長150m!)薬室は砲身の途中ごとに側面にいくつも分散して取りつけます。(合計28箇所)そして発射後は砲弾の移動に従って順次薬室内の炸薬に点火し砲弾を加速し撃ちだします。
試射での飛距離は88kmに及んだと言います。実践ではほとんど使われ無かったようですが、アイデアとしてはまさに「イノベーション」なのではないでしょうか。
軍事はカネ食いムシで兵器は使う事がないのに限りますが、天才を生みだしたり、革新的な技術を開発します。近年はその逆で民生品を軍事に流用するなども積極的におこなわれています。
現在、アメリカが開発を進めているのが、レーザー兵器と超電磁砲(レールガン)です。
世の中にイノベーションを起こすきっかけになるのでしょうか。