海洋立国論

安全保障・軍事について自分自身の勉強のつもりで書いています。

戦艦・大和(後編)

大和の後半生を見ていきます。

 

【世界最大の巨艦就役】

ハワイ真珠湾攻撃時にはまだ就役していなかった大和ですがその後すぐに就役、翌年2月に連合艦隊旗艦になりました。兵器としてはもはや無用の長物であり貴重な燃料を食うわりに低速な巨艦。

しかし威容を誇る美しい艦形はやはり多くの関係者を魅了した事でしょう。

 

ミッドウェー海戦

1942年(昭和17年)5月に連合艦隊司令長官山本五十六は早期講和を目指し、ミッドウェー作戦を実施しましたが、6月5日に機動部隊の主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を喪失しました。

この時、山本長官の乗った「大和」はミッドウェー攻略本隊として600キロほど後方にいましたが、空母がいなくなった艦隊ではミッドウェー攻略も難しくなり引き返しています。

その後トラック泊地に停泊する事が多くなり、前編で書いた「大和ホテル」と呼ばれます。

 

【戊号(ぼごう)輸送】

1943年(昭和18年)12月、「大和」は横須賀からトラック島へ物資や兵員を輸送する任務に就いていましたが、トラック泊地に入港直前にアメリカ潜水艦「スケート」から発射された魚雷の4発のうち1発を被弾。

右舷に4度傾斜し3000トン浸水。このとき想定外の浸水量があったことは設計上の不具合を露呈しました。自慢の水密区画が被雷によって歪み、艦中央部まで想定以上の浸水を起こしたのです。

しかし、駆逐艦なら1発で沈む魚雷攻撃にあっても注水によって傾斜は回復しましたので、運用側は「流石不沈艦である」と思ったのではないでしょうか。

この頃は制海権・制空権ともアメリカに奪われつつあり、兵員・物資の輸送とも軍艦でなければ輸送できないような状況になっていたのです。

 

レイテ沖海戦・捷号作戦】

海軍が起死回生を図った総力戦が通称「レイテ沖海戦(日本名:比島沖海戦)」です。アメリカのフィリピン上陸を阻止すべくフィリピン近海で陸海軍共同でおこなった作戦ですが、海軍の艦艇の8割の63隻、ほぼ全てを投入した海戦でした。

迎え撃つ米軍も軍艦170隻を投入。戦域も広く史上最大最後の大海戦でした。

空母中心の機動部隊が囮となり敵空母艦隊を誘引し北上、その間隙をぬって戦艦部隊がレイテ湾に突入し敵部隊を撃滅しようとするものでした。

この作戦において「大和」の同型艦「武蔵」が魚雷20本爆弾10発を受けて沈没。囮となった機動部隊も全滅。その他多くの艦艇も沈没しました。

「大和」はこの時に直撃弾1発を食らいましたが、初めて敵艦艇に向けて主砲を発射し、100発ほどの砲撃でアメリカの護衛空母ガンビアベイ」を撃沈しています。

この作戦では初めて「特攻作戦」が組織的におこなわれました。「大和」は10月23日呉に戻ります。

 

【沖縄水上特攻・天号作戦】

「大和」最後の戦いは有名な「天号作戦・海上特攻隊」です。

1945年(昭和20年)4月1日米軍が沖縄に上陸。これに反撃するため5日に天号作戦が発令されました。

沖縄に突入し座礁させ陸上砲台として大和を使うという無茶苦茶な作戦です。当然進路上に米軍が待ち構えています。アメリカは空母12隻航空機800機を数え、対する日本には上空を援護できる航空機はありません。

第二艦隊司令長官の伊藤整一中将はこの無謀な作戦に猛反対しましたが、「一億総特攻の魁となって欲しい」との言葉に従います。大和を片道で特攻させる訳にはいかないと、満載の7割ほどの燃料を他の艦艇から抜き取ってまでかき集め作戦は決行されます。

4月7日8時15分索敵機に発見され11時7分戦闘開始。

12時45分に左艦首付近に魚雷が命中。その後次々に魚雷が命中します。被雷した魚雷10本のうち8本が左舷側でした。

これは同型艦の武蔵の時に20本もの魚雷が必要だった事を踏まえ、攻撃を片側に集中させたのです。

大和は都度注水し傾斜を復元しますが、その度に速力は落ちていきました。14時20分に復元不能となり作戦中止が命令され、伊藤長官は駆逐艦に乗員救助を命令し「皆、ご苦労さ案でした。残念だったね」と言い残し、長官室に入り内から鍵をかけ艦と運命を共にしました。享年54歳。

14時27分1000mもの爆炎をあげて大和は横転転覆し、有賀艦長以下乗り組み員3000名と海に沈みました。救助されたのはたった290名。沈没地点は北緯30度43分・東経128度04分水深345m。

 

日本海軍の終焉でした。

 

欧米の艦船と比べればどことなく日本的な美しさを備えた大和は、日本海軍の誇る日本の象徴たるべき艦でした。

開国以来、欧米列強に追いつけ追い越せとやってきて、世界一の大戦艦を建造したことは日本人の能力と熱意の表れだと思います。

しかし、日本は退くべき時に退く事ができず、戦力の逐次投入を繰り返し、使う場所と時間を間違え、前線で得た経験を次に活かす仕組みも無く、能力よりも兵学校時代の成績(ハンモックナンバー)が昇進に影響するなど硬直化した組織でした。

日本軍(あるいは日本人そのものと言ってもいい)は、過去の成功体験を引きずり、協調を好むあまり閉鎖的となり変革を避け、異端者を排除する風潮がありました。

これではイノベーションは起こりえません。大鑑巨砲主義に長く固執したことや、日露戦争以来の銃剣突撃、零戦の性能と搭乗員の技量に依存した空戦、海上護衛戦と補給や兵站を軽視する風潮。

一方のアメリカは撃墜されたパイロットを、潜水艦などで救助しのちに教官として経験を役立てたり、戦闘の記録を詳細に分析し対応策をすぐに講じるなど柔軟に戦いました。

兵学校の成績に関わらず優秀な人材は積極的に登用し、新兵器の開発にも注力。

海兵隊まで創設するなど欧州戦線の教訓も太平洋で活かしています。組織論でも情報戦でも科学力でも工業力でも日本はアメリカに負けました。

 

しかし、この当時は多くの将兵は「日本の為家族の為に少しでも敵を多くやっつけてやるぞ。」その為なら命を投げ出す覚悟であり実際にそうしたのであったと思います。

もし日本が選択した道が誤っていたとしても、後世の平和な時代に生きる我々に先人を断罪する資格はありません。ただ、結果として日本は歴史を繋ぐ事ができています。そのことを感謝しつつご冥福を祈らずにはおられません。

二度と戦争を起こさないために、起こさせないために日本は「外交力・経済力・軍事力」によって高い「抑止力」とそれを制御する「仕組み」と「理性」が、ますます必要になっているのだと思います。

 

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大和ミュージアムの1/10模型

 

戦艦・大和(前編)

実は大和については詳しく書いたことがありません。

 

では、何故今になって書くのかというと・・・私も数年前に行きましたが、最近、友人が「大和ミュージアム」に行ったからです。

 まぁきっかけなんてそんなものでしょ。(笑)

 

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大和ミュージアム

男のロマン

さて、戦艦・大和をご存知の方も多い事かと思いますが、太平洋戦争時に大日本帝国海軍が建造した、当時世界最大の「戦艦」です。機能美はこうあるべしというくらい美しい艦です。大和を扱う映画も多く、また宇宙戦艦ヤマトになったり、男の子はプラモ作ったり。兵器ですが、日本人の多くを未だに魅了しています。

男のロマンって単純に表現したら女性から怒られそうですし、多くの人が戦死した兵器なんで左側の人にも怒られそうですが、私はそう思うんですから。(^◇^)

(大砲を積んでりゃ全部「戦艦」かと思いきや、実はちゃんと区分があるんですが割愛)

 

【建艦競争へ】

1934年(昭和9年)12月に日本は「ワシントン海軍軍備制限条約(1922年12月成立)」の脱退を通告します。(1936年失効)同時にロンドン海軍軍縮会議からも脱退。

ワシントン海軍軍縮条約・・・対・英米日の主力艦(戦艦など)の比率を5:5:3と定め、一定期間建造を禁止した。

ロンドン海軍軍縮会議・・・同様に補助艦(巡洋艦駆逐艦など)の保有比率を10:10:6.97とした。

海軍の条約派・左派三羽カラスと呼ばれる、山本五十六・米内光正・井上成美などは非戦を唱えており、国力の違い過ぎるアメリカとの軍拡競争を憂慮し脱退に反対でした。制限が無くなると、差は開く一方であると訴えています。実際に戦争末期にはアメリカは毎週末空母を進水させるほどの工業力を発揮しています。

これで約15年続いた軍縮時代(ネーバルホリデー)は終わり建艦競争に突入しました。

 

大艦巨砲主義

当時の主流の考え方は大艦巨砲主義と言い、海戦の主役は戦艦であり砲撃戦であるとするものですが、これを決定づけたのはある意味「日本海海戦」です。この時日本艦隊はロシア艦隊に海戦で勝利しますが、それは戦艦による砲撃戦の有効性を証明しました。

こののち、「大鑑巨砲主義」が時代遅れで「航空戦」になる事を真珠湾攻撃マレー沖海戦で証明したのも日本でしたが、大和が計画され建造されていた時はまだ「大鑑巨砲主義」が主役でした。

山本五十六は「無用の長物」と言い、井上成美などは「明治の頭をもって昭和の軍備をおこなわんとするものである」と言いきり、航空機主役を訴えています。

 

【第一号艦計画】

先立つこと1934年(昭和9年)10月、海軍は福田哲二造船大佐に世界最大の巨艦の設計を命令します。

A-140計画(後に第一号艦)と呼ばれた計画が「大和建造計画」でした。

福田大佐は手記で「我々ハコノ時ヲ鶴首シテ待チ構エテイタ」と言っていますので、設計者冥利に尽きる計画だったのでしょう。

巨大建造物に製作者が燃えるのはなんとなくわかりませんか?スカイツリーだって東京タワーだって瀬戸大橋だって黒四ダムだって心境は同じかもしれませんねぇ。

 

【起工】

1937年(昭和12年)11月4日に広島県・呉海軍工廠で起工しました。実は修理ドックは現存しており、現在はJMU(ジャパンマリンユナイテッド)が使用しています。呉に行くと目立つように書いてあったように記憶しています。

 

主砲は46cm(長さ25m)を3連装を3基、計9門。(砲塔1基で2700トン)・主砲弾重量1400キロを900発・最大射程は41kmもあります。

防御も鉄壁で艦体中央部の重要部分(ボイラーや弾薬庫など)の装甲厚は最大で41cm。煙突口にもハチの巣装甲と呼ぶ装甲を施し、艦内を1147に区切って防水区画とし、最新鋭の「注排水システム」を備え、浸水しても艦を水平に保ちます。

敵との距離を測る「測距儀」の幅も15mと世界最大。後の我が国の工学技術の発展の基礎になり、造船に際し採用したブロック工法・早期艤装技術などの建造システムは、後の石川島播磨重工業の「経済船」に取り入れられ、造船大国日本を築き、そして世界に広まりました。

艦首は新技術の「球状艦首」を採用し抵抗を低減することに成功。

球状艦首は「バルバスバウ」と呼ばれ、現在では多くの船が採用しています。開発時には巨大水槽で何度も実験しました。その水槽は今でも防衛装備庁艦艇装備研究所で利用されています。

因みにスクリューの直径は5mもあります。

 

東京都目黒区に現存する巨大水槽。中央の長細い緑の屋根が水槽のある建屋。

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googleマップより)

 

分厚い装甲と十分な予備浮力・46cm主砲9門・基準排水量64,000トン・全長263m・最大幅38.9m・艦底からの高さ54m。

主砲発射時の爆風から守るため、「艦載機(偵察、連絡用に搭載)」「内火艇(上陸、連絡用に搭載した小舟)」は艦内に収容可能で、乗り組み員は3000名以上。

これほどの装備でありながらコンパクトに設計されています。

 

【大和ホテル】

士官室はクーラーが完備され、軍楽隊も乗艦。上級幹部の食事は一流ホテル並み。兵にもアイスクリームやサイダーがよく提供されたようです。

就役後は連合艦隊旗艦としてトラック泊地(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で停泊している事が多かったため、豪華装備と相まって「大和ホテル」と揶揄されていました。

 

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トラック諸島(チューク諸島)の位置

 

【就役】

建造費は1億3780万円。(6兆円に相当)国家予算の6%をつぎ込み、設計から6年の歳月を費やして、1941年(昭和16年)12月7日公試(テスト)終了、12月16日就役。

この時に、艦名付与基準(明治33年制定)に基づき、律令国家時代の国名から「大和」と命名されました。命名基準については2019/05/31の記事を参照してください)

大日本帝国憲法では軍の統帥は天皇で、軍艦の命名天皇が決定します。海軍からは当初「大和」と「信濃」が提案され、昭和天皇が「大和」と決定しました。

 

まさに最大・最強の浮沈艦と言える当時の世界最高技術の粋を集め、日本の威信と象徴たるべき巨大戦艦になりました。

 

「大和が沈むときは日本も沈む」とまで言われたそうです。

 

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大和ミュージアムの1/10模型

【極秘】

建造は国家の最重要機密であったため、沿線の鉄道には壁を設置し、ドックは大屋根で覆い、設計者すら現場に入る事を許されず、図面は分割され、主砲口径は40cmと偽りました。そのため戦争中、国民の多くはその存在を知りませんでした。

 

※米内光政(内閣総理大臣海軍大臣

山本五十六(元帥海軍大将・連合艦隊司令長官

※井上成美(大将・兵学校長・海軍次官

 階級、経歴は一部のみ記載しました。

(後編に続く) 

GSOMIA破棄について

GSOMIA(軍事情報包括保護協定)破棄について

2016年に締結した機微な軍事情報を扱うための協定ですが、この協定はもっと前に俎上にあがった事があります。 その際に締結直前に韓国側が一方的に交渉を中止。4年ほどの期間を経て、西側の結束を訴えるアメリカの仲介によって締結したいきさつがあります。

 

本来、韓国に対して有利な協定です。
日本は警戒監視衛星を7基運用中。韓国は保有していません。哨戒機も韓国の10倍。イージス艦の優秀なレーダーもあるうえ、沿岸部のJ/FPS-5(通称:ガメラレーダー)も4基あり、監視網は非常に濃密。 
弾道ミサイルなどの軌道計算などで得たデータは韓国側にとっても喉から手が出るほど欲しい情報。

 

逆に日本側が得る情報はさして多く無いと考えられています。
北朝鮮・中国を考えた時、日韓の軍事情報が融通できないことはアメリカにとっても痛手。だからこそ仲介していました。

 

韓国の思惑は「ホワイト国外しをした日本が悪い」としたいのでしょうが、アメリカの逆鱗に触れる可能性も高い。
通常、貿易などで2国間交渉が難航しても、軍事交流は続けるもの。でないとそこらじゅうで戦争になってしまいます。
一部の品目の輸出管理を通常の手続きに戻しただけであるうえ、現在まで輸出を拒否していません。手続きに問題無い場合は許可もでています。実害はまだ無いのです。

 

トランプ大統領は気まぐれなので、「あ~メンドクサイ」となった時、在韓米軍を引き上げると言いだしかねません。
在韓米軍は、対北朝鮮のトリップワイヤーとして機能させていたが、それがなくなると北の軍事侵攻が現実味を帯びます。
最近、頻繁に発射していたミサイルは完全に対韓国用のもの。これで金正恩が漁夫の利を得る。中露にもメリットしかありません。アメリカは激おこプンプン。

国連決議に基づき、北朝鮮背取り監視にはフランスやカナダ、オーストラリアなどと連携しているのに、肝心の韓国がこれでは・・・

 

しかし、これで日本は一歩も譲れなくなりました。安全保障は自国のみで完結できる時代では無いため、多国間協力をするのですが、GSOMIA復帰を日本から要請すると、「復帰する代わりになにをくれるのか」と要求されかねないからです。

 

今回の韓国の手法はリンケージ戦略と呼ばれるものにあたるのでしょうが、リンクさせるものを間違うと、とんでもない結果を生むもの。

 

11月には協定が失効しますが、どんでん返しはあるのかないのか?

このまま突き進んで「日韓基本条約」の破棄まで言いだすのか?

軍部のクーデターもあるのか?

まぁ、どれもシナリオとしてはあまり無いでしょうが、大丈夫なのか・・・韓国政府・・・

 旭日旗問題、慰安婦財団解散、徴用工裁判、レーダー照射・・・

止まらないですね。

 

時事ネタはあまり扱いませんが流石に書かずにいられないなぁ。

東京オリンピックとインパール作戦

なぜインパール作戦のことを書こうと思ったのか?

それは最近「東京オリンピック」を「インパール作戦」になぞらえる人のSNS投稿を見たからです。いつかは書こうとは思っていましたが良い機会?なので (^_^;)

インパール作戦のことを知っている人は多いと思います。書籍も多くテレビでも特集とかありますしね。

 

概要

大東亜戦争末期の1944年(昭和19年)3月から7月まで日本陸軍がおこなった作戦です。

インパールとはインド北東部にある急峻な山岳に囲まれた盆地にある町。

当時インドはイギリス領でしたが、イギリスは日本が支那(中国大陸)で戦っている「国民党軍(蒋介石政権)」に支援をしており、そのルート(援蒋ルート)を遮断するため、実施しました。

司令官は「牟田口廉也中将・十五軍司令官(後に予備役)」上官は「川辺中将(後に大将)」です。

 

あまりにずさんな計画で参謀本部でも反対意見があったのですが、この二人が強行し多くの戦病死者を出した最悪の地上戦でした。

1月ごろに開始し雨季までに決着させるという根拠のない計画で始まったため、食料や資材運搬の車両手配も間に合わず、また食料補給は途中の町で徴発(奪う)するか戦利品で得ることや、運搬に牛や羊を使い順次食料にしていく(駄牛中隊)などを計画します。いや・・・いつの時代?って感じです。

 

そのため1か月程度の食料を携行して徒歩で進軍することになりました。さらに部隊の集合が遅れ行動開始は3月8日となりました。

対するイギリス軍は、倍の兵力と5倍の航空機をもつ重装備の部隊で制空権も握っていました。

この作戦前には現地に詳しい参謀たちがいたのですが、軒並み反対するので次々にクビにしてしまい、組織改編の際には現地に詳しい参謀が殆ど残っていなかったのです。

 

作戦開始したけれど・・・

劣悪な条件のもと、兵士は1か月で500kmを徒歩で山中を行軍。

駄牛中隊の牛たちは、途中の崖から転落したり、渡河中に水死したり、敵の攻撃に驚いて逃亡したり・・・結果、積んでいた弾薬や食料も散逸し戦力が減少しました。

インパール近くにはたどり着いたものの、空輸で補給するイギリス軍に頑強に抵抗され、持久戦の様相を呈します。インパールはモンスーン地帯で、雨季には滝のような雨が降ります。周囲はヒマラヤを望む山岳地帯、乾季には小川でも雨季には激流。道は泥沼で車両や銃砲は運びづらく、火もなかなか着かないのでコメも炊けず、生水は危険でも飲むしかない。

そして赤痢マラリアに罹患し兵士はバタバタと倒れていきました。補給も無いので攻撃するにも弾もない。

 

さっさと撤退すればいいものを、メンツにこだわる二人は顔を見合わせて威勢のいい掛け声だけはるか後方から。「やめる」を決断できないまま続け、士気は下がり死者(病死)は増え続ける。

退却を進言し続けた佐藤中将は、5月に死刑覚悟の命令違反によって部隊を後退させました。本来であれば軍法会議(陸軍刑法42条)ですが、表ざたになって監督責任を問われる事を恐れた参謀本部は、うやむやにしてしまいます。

この現状を知った、東条英機首相・参謀総長は7月1日に天皇に「作戦中止」を上奏し、翌2日に南方軍が中止命令、5日には中止され司令官は8月20日に解任されました。

 

白骨街道

日本兵からの感染を恐れ、追撃してくるイギリス軍は道端で見かけた日本兵の生死に関わらずガソリンを掛け焼却。それが無くても足を止めたら、戦車に踏みつぶされたり、トラやヒョウ、ハゲタカに生きたまま食われます。

結果、参加兵力のおよそ70%を損失。退却路は「白骨街道」と呼ばれ、現地の政治状況などから近年まで遺骨収集事業も行われていませんでした。

この戦いにはINA(インド国民軍)も参加しており、日本降伏後独立運動に参加、後にインド独立を勝ち取ります。

インド初代首相のネルーは「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。(後略)」と語っています。

 

2つは同じ構図

このインパール作戦東京オリンピックが似ているとは、非常に的確に思えます。

(大文字=インパール作戦 小文字=東京オリンピック

 

A.雨季(季節)を考慮しないで実施した。兵士の都合ではなく司令官の都合。

 a.真夏に実施。選手の都合ではなく放送権(収益)の都合。

B.掛け声はいいが、具体的な作戦計画が杜撰。

 b.アスリートファーストと言いながら、水が・・・日差しが・・・

C.兵站を無視した作戦を強行。メシとタマが無けりゃ戦えない。精神論では勝てない。

 c.選手の体調管理なんて自身でしてねと言わんばかり。

D.責任の所在があいまい。参謀本部なのか、現地司令官なのか。

 d.森さんとこ?小池さんとこ?それとも政府なの?

E.組織内の融和と序列を優先し、合理的結論を導かず決断できない組織。

 e.JOCと東京都、財界、政府・・・誰が決めるの?

F.二百三高地以来の「突撃」のみの作戦。

 f.ボランティアの扱いが・・・

G.管理責任を負わない保身主義。

 g.小池さん見てたら・・・ねぇ・・・

H.気に食わない意見を言う人を除外する。理由は「組織の調和を乱すから」

 h.多分「これじゃ駄目だ」って言ってた人もいるだろうなぁ。(証拠は無い)

I.能力も無いのに希望的観測のもとに戦線拡大。

 i.借金大国で労働力不足なのに。いつまでJapan as No1のつもり?

 

日本人って75年たっても変わらないなぁと思います。

 

オリンピック組織委員の方々、少しは戦史の勉強したらどうでしょう?

良い教材になりますよ。多くの方の死が少しでも役立つのではないでしょうか?

 

 

こんな遠くまで行ってたんですよ。 (GoogleMapより)

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インパール周辺。盆地の様子が分かりますね。 (GoogleMapより)

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アルキメデスの大戦

本日、映画「アルキメデスの大戦」を観てきました。
(ネタバレになってはいないつもりです)

端的に良い映画でした。
フィクションですが、そうであったかもしれないと思わせる良い脚本、田中泯さんの渋い演技、浜辺美波さんの古風な可愛らしさ、ストーリー展開の見事さ。VFXの出来栄えの良さ。

ご覧になられる事をお勧めします。私はDVDを購入して再度みようと思います。

 

さて・・・
8月は6日に広島・9日に長崎に原爆が投下、同日(9日)ソ連が一方的に日ソ不可侵条約を破棄し参戦。
14日にポツダム宣言受諾、15日正午にいわゆる玉音放送
これにより英米に対する組織的戦闘行動は停止されマッカーサーによって攻撃中止命令がだされた。

 

ソ連とは戦闘を継続していた陸軍だったが、玉音放送後にだされた「大陸命1381号」(陸軍への命令書)で、積極的侵攻作戦を中止スベシ、となりました。
翌16日の「大陸命2382号」でようやく即時停戦(自衛戦闘は除く)が発令されました。これから大陸での悲惨な撤退が始まります。

 

正式な終戦は9月2日。アメリカ戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印によります。
しかしソ連は同じ9月2日に歯舞、5日に千島全島を占領しました。20日には樺太で真岡郵便電信局事件が起こり、民間人である電話交換手(女性)がソ連のレイプを恐れて自決、他にも民間人である局員への銃殺や爆殺がおこり悲惨でした。

 

中国共産党軍も日本の関東軍に対して攻撃を続け、8月15日以降年末ごろまでに、3000名ほどの将兵が亡くなりました。

 

8月15日をもって戦闘が終わったと勘違いされている方も多いのでは?実は違うのです。

 

戦争は勝っても負けても悲惨です。人命は失われ経済も国土も荒れる愚行蛮行です。火を見るより明らかです。
しかし理不尽な暴力は今も世界のあちらこちらで行われており、今も止む事はありません。
また、夢や空想で頭上に飛来するミサイルを止められる訳でもありません。
それゆえ安全保障論が今でも研究され続けているのです。平和を希求するが故です。

 

この時期になると、相変わらず騒ぐ人も多いですが、8月15日はこころ穏やかに迎え、亡くなられた310万柱の霊に哀悼の誠を捧げたいと思います。

日米同盟の意味(続編)

6月27日にアップしました「日米同盟の意味」の続編です。

 

前回、「日米同盟は双務性がある。トランプ大統領の言う不公平であるという指摘はあたらない」といくつか理由を述べさせてもらいました。

また、安全を守るジレンマ「同盟のジレンマ」(2017/10/09)に少し詳しく書きましたが、同盟には見捨てられる恐れが常にあります。

自主防衛ができない構造の我が国は常にこれにさらされていますが、それが表面化したような形になり、マスコミでは大きく報道されました。

マティス前国防長官さえいてくれたら・・・と思いますね。

1期4年・最大8年の任期でアメリカ大統領は変わりますが、8年ごとにコロコロ安全保障政策が変わってしまうようでは、世界の覇権国の地位は維持できるはずもなく、そのあたりは米議員・閣僚・軍は認識しているでしょう。あの民主党オバマ政権でさえ日米同盟は堅持したのですから。

しかし日米同盟が永遠に不滅であるという保証もなく、今後どうなるのかは我が国でもしっかり考えて準備はしておく必要はあるでしょう。思考停止は最も危険です。

さて、今回は現状でアメリカは同盟を破棄した場合どうなるのかを考えようと思います。(多少の毒舌バージョンでお送りします)

日米同盟破棄となると・・・

 

基地返却

日本は在日米軍の撤退を要求します。安保条約第6条には「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」とありますので、駐留の根拠が無くなり撤退を要求することになります。

撤退すると基地は不要です。基地が無くなるとは米軍人も帰還することになるか、他の基地に移動するしかありませんが、在日米軍5万人。簡単に移動ってできると思いますか。米軍は配置に苦労することになるでしょうが、知ったこっちゃありません。

それに伴い、米軍基地で働いていた多数の日本人と食料など物資の納入業者なども仕事が無くなります。5万人の米軍人相手の商売は成り立たなくなります。飲み屋からレジャー施設までなにもかもです。「基地よ出ていけー!」派の人に聞きますけど、倒産・失業増えますね。米軍人と結婚した日本女性沢山いますけど。どうしますか?

 

核の傘

そもそもあるかどうかわからない「ハッタリの核の傘」ですが、一応多少の安心には役立ってはいるようです。核保有国に囲まれつつも核の恫喝を受けた事がほぼ無い事や、核保有国同士の正面戦争が起きていないことがその証明です。

しかし正真正銘「核の傘」は無くなりますので、日本は周辺国の核の脅威におびえる事になります。そうなると「核武装論」が勢いを増すでしょう。日本にとって核保有はハードルが高いですが、アメリカのコントロールできない核保有国の登場もあり得るシナリオが。

国際的な締め付けがあっても、もし、中露北朝鮮から僅かでも威嚇されれば「見捨てられた日本」は「アメリカのせい」にして核武装を進める世論が強くなります。世論は民主主義の根幹です。核保有という選択をしても手続きに不備がなければOKです。また核不拡散条約(NPT)があっても、日本が核保有するかもしれないとなると、アジアに核保有論が拡がりかねません。日本が核拡散の先べんをつける事になってもいいんですか?自国の原発でさえ騒ぐのに。

 

予算

在日米軍関係経費(平成31年度予算)で総額およそ5,823億円と巨額の予算が必要なくなります。突然無くなる訳では無いですが、撤退となると施設の土地を提供している地主に借地料が入らなくなりますし、漁業補償も騒音対策の費用も貰えなくなりますが、そのお金も元々は日本政府が支出しています。(間接的に個人・団体へ税金を投入していた)このお金は他に回せますが、米軍の穴埋めに使うことになるでしょう。ただし米軍の穴は巨大です。この額では全く不足していますので、防衛費増額は間違いありません。それでいいんですか?

 

装備品

海兵隊もいないので独自で島嶼防衛しなければなりません。輸送艦揚陸艦、補給艦などの補助艦艇が全く不足なので増備。さらには電子戦機や早期警戒機、空中給油機、現場の航空優勢確保の為の空母や強襲揚陸艦、艦隊護衛のためのイージス艦や潜水艦、それらを常時運用できるように最低でも3個護衛隊群(空母込み)を追加。なんなら広大なEEZの監視に原子力潜水艦も。将来の核報復能力確保の為には実績は必要でしょう。

弾道ミサイル防衛のための早期警戒衛星の増備、イージスアショアやTHAADミサイル導入、指揮命令システムなどへのサイバー攻撃対応能力の確保など。反対にアメリカに気を使う事無くEU諸国の兵器も買えますが。それらの配備場所には在日米軍基地の後がいいでしょう。あれ?米軍が出ていっても基地は全部は返ってきませんね。

ホルムズ海峡、マラッカ海峡などのチョークポイントのシーレーン防衛は我が国とっても死活問題。そのためのアセットと法整備、なんなら憲法改正しないと、石油入らなくなりますよ。護憲派の方々はどう思いますか?

もう目白押しです。ミリタリーマニアにはたまらない展開かもしれませんが、自衛隊にはそんなに人がいないのでリクルートに苦労することになります。「徴兵制になる!」って声が聞こえてきますが、海空はシステム化されたハイテク兵器ですので邪魔なだけです。それどころか教育に回す人材・機材すら不足するでしょう。

※「徴兵制はあるのか」(2019/02/26)に他の要素については書いています。

余談ですが戦闘機の独自開発なんて我が国には無理です。そんな技術力はありません。民間機のMRJでさえ何年かかっても飛ばないじゃないですか。前回テーマのUS-2はUS-1Aという下敷きがあったし、F-2はF-16というベースがあった。F-15導入時には「侵略兵器だー!」とか言って、「空中給油口を塞げ!」とか、F-35の国際共同開発でさえ参加させなかった左巻きが多いのに、国産戦闘機なんて夢です。ゼロ戦の時代じゃないんですよ。お金も無いし。

かかる予算の試算はいくつかありましたが、現在GDP比1%の防衛費が1.3%~2%になるようです。当然、増税と他の予算カットです。埋蔵金も打ち出の小づちもありませんので。

 

アメリカと第三国との関係

同盟関係は即応体制が命です。

軍事同盟であっても、有事の際に助けるのが遅れれば既成事実化され対応が後手に回ります。つまり南シナ海や台湾が中国による危機に晒された時、米軍は介入してくれるのか疑わしくなり同盟関係の信頼性が低くなります。

また、ホルムズ海峡やアメリカにとってのシーレーンの維持に艦隊を派遣し任務を果たしたあと、補給・休養で帰港することになりますが、グアムやハワイまで帰らなければなりません。時間とコストが増大します。費用対効果が悪化しますが日本を使えませんので仕方ありません。

当然、「力の空白」が生まれますので、中国は海洋進出、台湾併合、南シナ海の聖域化、第二列島線への進出でハワイがミサイル射程圏内。日本の南西諸島などの占領と既成事実化をコツコツ進めます。日本が独自対応できるまでの軍備を拡大するには10年や20年はかかりますので間に合いません。

それらの結果、アメリカへの不信がアジアで増すことになり覇権国としての地位を失いますが、それで良いんですか?トランプ大統領

 

結論

ということで、日米同盟は堅持することが最も安上がり。アメリカにとっても良い事しかありません。駐留経費を増やせ!と言って来たら顔を立てて少し増やせばいい。自国民に自慢してくれること請け合いです。その代わり、地位協定を日本にとってもっと使いやすいようにすることとバーターです。ディール好きなトランプ大統領はこれで大丈夫。 

 

あースッキリ(笑)

救難飛行艇US-2に女性機長が誕生!

女性機長誕生!

US-2救難飛行艇。 海上自衛隊が運用するこの飛行艇に、この度初の女性機長(岡田2等海尉)が誕生しました。素晴らしいことですね。自衛隊の女性進出には目覚ましいものがありますが、この機会に個人的にも大好きなUS-2という飛行艇を振り返りたいと思います。

 

我が国は飛行艇先進国

我が国の航空機開発は戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で途絶えました。その後に少しづつ開発はされてきましたが、一旦途絶えた技術は追いつくのが難しく未だに完全な国産戦闘機の開発はできずにいます。

しかし、飛行艇は違いました。US-2は前身であるUS-1A US-1 PS-1に遡り、さらに戦時中の二式飛行艇(通称:二式大艇)、さらには九七式飛行艇に至ります。

US-2の開発主契約者(プライムメーカー)は新明和工業兵庫県神戸市)で、その他に三菱重工業川崎重工業、日本飛行機、富士重工業(現:SUBARU)など大型機の開発経験があるメーカーが加わりました。

新明和工業は戦前、川西航空機というメーカー(兵庫県西宮市)で、その時に開発したのが「九七式飛行艇」「二式飛行艇」や水上戦闘機「強風」、それを陸上機化し局地戦闘機紫電」となり、さらに「紫電」の問題点を改良し「紫電改」を生みだしました。

それらの設計の多くは菊原静雄氏で、戦後初の国産旅客機YS-11の開発にも関わった人です。この流れを新明和工業は受け継ぎ、戦後も飛行艇(大型機)の開発に関わり続けました。我が国は戦時中、零戦水上機化した「二式水戦」や専用設計された「強風」など多くの水上機を生みだしましたが、これは広い太平洋の島々に素早く展開し滑走路ができるまでの間の防空を水上戦闘機に依存する必要があったからです。反面、土木力がケタ違いの米軍は滑走路の造成に時間がかからなかったため、水上戦闘機は発達しませんでした。陸上戦が主役のヨーロッパ諸国ではほぼ不要な機種です。

戦時中の航空機設計者では菊原静雄氏の他に、三菱重工業堀越二郎氏が「零戦」、川崎航空機の土井武夫が「三式戦・飛燕」、中島飛行機の太田稔が「一式戦・隼」、航空研究所の木村秀政氏は周回世界記録を作った「A-26」を設計するなど、航空機の機体設計は当時では世界有数でした。しかしエンジンの開発は遅れを取っています。

 

US-2は世界一

US-2は世界最高の性能を持つ飛行艇です。波高3mでの離着水が可能で、高度9000m(3万フィート)の高高度で飛行できますが、任務上、怪我人や病人の緊急輸送が想定されるため、荒天を避けて高高度を飛行しても患者に影響が無い様にキャビンを与圧化しています。また4発あるエンジンのプロペラの回転方向を同一として維持コストを抑えていますが、回転トルクによる飛行姿勢の偏りを抑えるためにエンジンの取りつけ角を少し傾けるなど創意工夫が詰まっています。

 波高3mという外洋での離着水を実現するために、およそ90km/hという極めて低速での飛行や離着水が可能です。速度が速ければそれに応じて着水時に機体が受ける衝撃は大きくなりますが、艇体部や翼、フロートは上向きの波の衝撃に耐えねばなりません。着水速度が遅いほど衝撃は小さくなり、強度にも余裕が生まれ軽量化が図れます。その為にBLC(境界層制御)と呼ぶ高揚力装置を装備することで大きな揚力を得ています。これらが相まって着水に必要な距離は330m、離水には280mという極端に短いSTOL(短距離離着水)能力があります。

 またプロペラが波で叩かれにくくするために両翼のフロートは十分な浮力を確保しつつも軽量化するため炭素複合材を採用、操縦系統も3重系統のFBW(フライバイワイヤ)を採用しコンピュータにより制御され操縦安定性を高めています。

我が国は世界第6位の広いEEZ排他的経済水域)を持っているため、救難時には遠くまで進出しなければなりません。そのため、航続距離は長大で最大4700kmに及びます。1900km進出し2時間捜索できる行動半径を誇ります。

これによりアクセスできる離島は260以上、さらに離島には僅かな揚陸設備(スロープとエプロン)があれば滑走路は無くてもいいですし、船と違い1000kmを2.5時間で移動できることも大きな魅力です。US-1と合わせて出動回数は1000回を越え、多くの命を救っています。1000名以上の人命を救ってきたUS-2の価格は1機140億円ほど。意外と安い買い物だと思いませんか。

ところで、設計コンセプトが違うので一概には言えませんが、カナダのボンバルディア社の飛行艇(Cl-415)は、US-2の半分程度の小型機ながら離水には800m、航続距離は2400km、波高1.8m。US-2の優秀性が際立ちます。飛行艇を開発している国は、日本、カナダ、ロシアの3か国のみです。

 

オスプレイと競り合った

開発時にはV-22オスプレイが対抗候補に挙がったこともあるようです。こちらも従来のヘリコプターよりも長大な航続力、速度、30名が搭乗可能などUS-1の後継機としてはまずまずでした。ただし、着水しての救助はできずホバリングしてのピックアップとなり、プロペラのダウンウォッシュ(下降気流)は、対象者次第では問題があると考えられました。結局は新明和工業の熱意とUS-1での実績、V-22オスプレイの開発遅れでUS-2の開発が決まりましたが、US-1から20年以上も開発期間が開いたことは新明和工業にとっては辛かっただろうと思います。技術や思想は伝承されなければ、一旦途切れたらなかなか復活はできません。航空機開発の道を一旦閉ざされた我が国は、MRJもC-2輸送機もP-1対潜哨戒機も苦労の連続。複雑な航空機の開発は継続し続けノウハウを蓄積しないと結局は高価な開発費などに悩まされる事になります。

 

海外展開できるか 

インドがUS-2に興味を示してはいるようで、輸出交渉も行われているようですが、ユニットコストが高く、スムースにはいかないようです。しかし「開かれたインド太平洋」を提唱する我が国としては、インドとの連携を強めるためにも、また初の大型装備品の海外輸出の経験を得るためにも、上手く行って欲しいと思います。インド洋を活動域とするならUS-2はお役に立てます。他にもインドネシア、タイなども興味を示しているようです。さらに山火事などの消火に使えるように消防用に改造するアイデアもあり、コスト低減を図ったUS-3(仮称)の計画もあるようです。我が国の航空技術が人命救助に役立つことを願っています。

 

命がけの任務

US-2は2015年に5号機が事故で水没し喪失していますが、これは洋上において4発のエンジンのうち1発が波をかぶり出力低下を起こし3発で離水しようとしたものの、失敗し海面に激突してエンジンが脱落したものです。(乗員は全員救助)危険な任務です。

岩国基地に配備されいつ起こるか分からない事態に対処するため、万全の体制で常に待機し、いざとなると長距離を飛行し、レーダー、赤外線、目視などによって米粒のような小さく見える遭難者を発見、荒天の海に着水し救助をおこない、素早く離水し一刻も早く患者や遭難者を搬送する。この任務に命がけで取り組んでいるのが、US-2の開発・製造者とその乗員・整備員たちなのです。心から賛辞を送りたいと思います。

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US-2 出典:海上自衛隊HPより