昭和20年8月のできごと
8月15日を迎えるのにあたり、昭和20年8月の出来事を纏めておきます。
原爆やソ連の参戦などで個別に言いたい事は山ほどありますが、今日だけは事実を思い起こして静かに哀悼の意を捧げたいと思います。
6日 米軍が広島に原爆投下 直後の死者約10万人。
8日 日ソ中立宣言を無視しソ連が対日宣戦布告。
9日 米軍が長崎に原爆投下 死者約3万人。
ソ連軍が満州・北朝鮮・南樺太を攻撃し侵攻。(総兵力150万)
10日 御前会議においてポツダム宣言受諾の聖断下る。
14日 御前会議においてポツダム宣言受諾の再度の聖断下る。
陸軍一部将校が反乱決起する。(宮城事件)
近衛師団長・森中将、白石中佐が反乱将校によって殺害され、関与した畑中少
佐、椎崎中佐、古賀少佐が自決。
第五航空艦隊司令長官・宇垣纒(うがきまとめ)中将が、艦上爆撃機彗星8機
と共に最後の特攻に出撃し戦死。
午後からの米軍の攻撃は中止される。
16日 全軍に対し即時戦闘停止命令を発令。
大海令第48号 、大陸命第千三百八十二号にある『止ムヲ得サル自衛ノ為ノ戦闘
行動ハ之ヲ妨ケス』により自衛戦闘は継続。
スターリン首相がトルーマン大統領に北海道分割統治(占領)を提案するが拒
否される。
二日間にわたりソ連軍の南下を阻止した樺太・古屯(ことん)守備の歩兵第百
二十五連隊・第一大隊全滅。
特攻の生みの親と呼ばれた、大西瀧次郎中将(軍令部次長)が自決。
樺太・太平炭鉱病院看護婦(多くは10代~20代)23名が集団自決を図る。
(17名は救助される)
陸軍特攻機の爆装計画を担当した水谷大佐が自決。
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)殿下による「終戦管理内
閣」発足 。
18日 ソ連軍が千島の占守島(しゅむしゅとう)に上陸し日本陸軍守備隊と交戦(占
守島の戦い)21日まで続く。
内務省警保局長が各都道府県知事に対し占領軍向け性的慰安施設設置を指令。
その後特殊慰安施設協会が設立され、「職員」募集広告がでる。
20日 樺太・真岡郵便局の電話交換手の女性がソ連軍の女性への暴行を恐れ集団自
決。(真岡の悲劇)
22日 25日午前零時以降の任務解除・武力行使停止を大本営が命令。
樺太から避難民を乗せた船団が北海道留萌沖でソ連潜水艦の攻撃を受け、死者
およそ1700名。
23日 満州を除く中国全土で日本軍は中国軍へ投降するように支那派遣軍総司令官岡
村大将に命令が下る。
24日 「宮城事件」「川口放送所占拠事件」の鎮圧に尽力し、終戦の立役者と称され
た陸軍の田中静壱大将が自決。
29日 進駐軍用慰安施設などを神奈川県が指定。
30日 マッカーサー元帥(連合国最高司令官)が厚木飛行場に到着し、横浜にGHQ
(連合国最高司令部)を設置。
31日 米海兵隊が館山に上陸。
勿論、他にも多くの自決のほか悲しい出来事はありましたが・・・
合掌。