海洋立国論

四方を海に囲まれて。

もがみ型3番艦進水

2020/11/19

 1番艦に先行して2番艦である「くまの」が進水。旧海軍の最上型重巡洋艦4番艦「熊野」、海上自衛隊護ちくご型衛艦「くまの」、そして今回で3代目です。知ってる人はこの2番艦が「くまの」と命名された時点で「もがみ型」になるんだろうと予測をしていました。

2021/03/03

 1番艦(ネームシップ)「もがみ」が進水。これに伴い、それまでの呼び方「30FFM」を「もがみ型」としました。令和4年4月頃の就役を予定しています。旧海軍の通報艦「最上」、最上型重巡洋艦1番艦「最上」及び海上自衛隊いすず型護衛艦2番艦「もがみ」 、今回で4代目となる由緒ある命名です。

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進水式の様子・海上自衛隊HPから

2021/06/15

 3番艦の「のしろ」が進水。旧海軍阿賀野軽巡洋艦能代」、海上自衛隊ちくご型護衛艦11番艦「のしろ」、そして今回で3代目。

 

大型化してきた護衛艦

 艦隊防空や弾道ミサイルすら迎撃できるイージス護衛艦こんごう型4隻・あたご型2隻・まや型2隻)はいわばミサイル防空艦、対潜ヘリを多数同時運用できる「ひゅうが型」2隻は対潜ヘリ空母、F-35Bの運用もおこなうこととなった「いずも型」2隻は護衛空母と呼べる艦(改修工事が全て終了しF-35Bが運用され作戦能力を得るのは令和8年以降とみられています)であるなど、護衛艦はどんどん大型化していきました。

 しかし防衛予算や人員にも限りがあり、大型艦は維持費も高額、自衛隊が警戒監視する海域は広大であり数も必要であることから、「もがみ型」は多用途に運用できる高機能な艦種を目指して建造され、艦を小型化し運用の大幅な省力化が図られた最新鋭艦です。毎年2隻ずつの建造を計画しており、本型の機能、用途からも本来的な意味での「護衛」艦といえる艦です。退役するまで無事の航海と任務遂行を願っています。

 

 帝国海軍時代にも同名の艦はありました。それらについて少しご紹介しようかと思います。因みに艦名ですが帝国海軍時代は漢字を使用していました。

 

重巡洋艦「最上」 

 重巡洋艦は本来「山岳名」が名付けられるのですが、「最上」は当初軽巡洋艦として建造されたため、当時の命名基準にならい、河川名を使用し昭和7年8月1日に「最上」と命名され、昭和14年の改修後に重巡洋艦に分類されました。

 先の戦争では南方での作戦、ミッドウェー作戦などを経て主に中部太平洋で戦い、最後はフィリピン・レイテ沖海戦で戦没しました。昭和19年10月25日13時ごろです。

 

重巡洋艦「熊野」

 熊野も同様で、完成後に改造され「重巡洋艦」となっています。昭和11年10月15日進水、開戦当初からマレー作戦

、インド洋作戦、ソロモン海戦、南太平洋海戦、レイテ沖海戦(サマール沖海戦)で大破しつつも生き残り、マニラに一時寄港し応急修理、その後内地(台湾の高雄)へ回航する途中の昭和19年11月25日空襲で沈没しました。

 多くの海戦を生き抜き、数十に及ぶ多数の魚雷、爆弾、数えきれない機銃掃射を受けても耐え続けた「熊野」はルソン島サンタクルーズ港沖に眠っています。同型艦4隻のうちこの海戦前に生き残っていたのは3隻で「最上」「鈴谷」はレイテ沖海戦で沈み、「三隈」は昭和17年6月7日に既に戦没しています。

 

軽巡洋艦能代

 能代軽巡洋艦です。昭和18年年6月30日竣工し、第二水雷戦隊旗艦として任務に従事しました。最後はレイテ沖海戦で損傷しブルネイに帰投中の昭和19年10月26日フィリピンのミンドロ島の南側にあるパナイ島の北西部海域に沈んでいます。1年4か月の短い生涯でした。同じ日には軽巡洋艦阿武隈」「鬼怒」、駆逐艦「早霜」「浦波」「野分」、貨物船「海口丸」「大彰丸」「大博丸」「秦洋丸」「星斗丸」油槽船「南進丸」が沈んでいます。

 

 レイテ沖海戦はこの海域で戦われたいくつもの海戦を総称したものですが、この海戦以上の戦いは歴史上ないと言える大規模なものでした。日本艦隊の多くが沈み、事実上帝国海軍の海上戦力は壊滅しました。

 組織的に実施された特攻(隊長:関大尉、中野一飛曹、谷一飛曹、永峰飛行兵長、大黒飛行兵長の敷島隊ほか16機)、世界最大の戦艦「武蔵」の沈没もこの戦いです。

 

 先の大戦では多くの艦がその乗員と共に眠っています。2度とこのようなことのないようにするために、研究を重ね、戦争をおこさせないあらゆる抑止力(経済力、軍事力、外交力、組織力など)の向上を願ってやみません。