海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

防衛産業は経済に貢献するか

安全保障は国家の義務

国の所得=消費+民間投資+政府支出+純輸出 が基本で 、防衛費は政府支出ですが、この政府支出が「公共投資」であるなら、インフラ整備などに使われたりしますので、民間投資を呼びこみ再生産する活きたお金になります。それによって新たな産業も起こりますし、道路なら輸送の効率化が進み、新商品を開発し消費を喚起し企業収益に貢献しますし、教育なら優秀な人材育成に繋がり、財の創出に貢献するでしょう。結果的に国を富ませることになります。それとは異なり防衛予算は再生産されないお金が殆どです。弾薬に至ってはボカン!で終わりです。例えばいくら高性能な護衛艦でもフェリーやタンカーのようにヒト・モノの輸送に使えません。民間船を守るために使うので間接的で、護衛艦の運用そのものは財を生みません。また、民生用の生産に使えたはずのヒト・モノを使うので、再生産しないものに民間リソースを使うことになります。

国内の軍需産業は儲かるのか

軍事関連産業は儲かるじゃないかとの意見が聞こえそうですが、先だって「コマツ」が軽装甲機動車から撤退したように、そのままを市販できません。生産数が計画で決められ量産効果も出ず、不備があった場合の負担、実践での損失もおきないので増産も無く・・・儲からないので、政府は高値で買うことになります。これすなわち税金です。

このように兵器等の国内需要が限られているので、企業が儲ける為には「世界標準仕様」や「相手先仕様」の派生型などを作るなりして海外輸出する事ができればいいのでしょうが、従来あった「武器輸出三原則」は実質的に武器輸出を禁じており、この縛りが長く続いた結果、兵器市場での競争力、ノウハウを全く持たない我が国の防衛産業が、輸出条件を大きく緩和した「防衛装備品三原則」になったからといて、バンバン輸出ができるほど甘くありません。そのうえ武器の輸出に積極的になると、「死の商人」などの悪いイメージが生まれることによる企業イメージの悪化もあるためか、企業側もあまり大型の案件での売り込みに消極的なようです。競争力の強い自動車や半導体などは長い期間、苦労を積み重ねてきたのですから。

平和の配当

このように企業にとっては儲けが出にくいうえ、限りある国家予算から、防衛費を増やせば政府支出としての民間への公共投資が減るので、(危機があって不景気という場合以外は)政策として「国家予算のうち軍事支出が占める割合の増大」は得策ではなく、政府としては防衛費は抑えるべきもの。また憲法上は、自衛の範囲に留まる防衛力整備に制限されている事もあって防衛予算の伸びは抑制する力が働きます。長期安定政権である安倍政権でさえ、北朝鮮・中国の脅威がこれほど高まっていても、増額はしてもGDP比1%を超える事はできていません。

武器生産を拡大することは、企業の生産能力を再生産しないモノの生産の為に奪うことになりますので「軍事予算の急激な拡大」はヒト・モノ両面で「財」の喪失を発生させることになりかねません。 

一般的に軍事費削減に対する民間部門の拡大は『平和の配当』と言われます。事実、日本は「日米安全保障条約」によって、軽い防衛費で済ますことでそのお金を民生部門に回し経済成長を遂げてきました。

 機会費用

軍事費(防衛費)に多額の投資をすると経済活性化するなんて話は、数字を見る限りでは第二次世界大戦朝鮮戦争までのようです。朝鮮特需なんてのもありました。

脅威や戦争が無ければもっと豊かになるために使うことができた財を、武器弾薬、戦後復旧に使う事になります。一次的には武器等の生産や破壊された町などの復旧に使うため、政府支出が増えて経済が回るから、戦争中より豊かな感じはするでしょう。

でも戦争がなくそもそも破壊されていなければ家を建て直すこともなく、新車や洋服に消費できるのだから、戦争や脅威がなければ最終的にはこちらのほうが利益が多いと考えられます。本来つかうことができた財を使う事ができなかったことで「機会費用」がかかります。

戦争の場合 -1から0に戻すことで、1の増 =実質0

戦争がない 0から1増える 1の増加 =実質1

人も同じで、ある人が戦死した場合は、その人が生きていたら生みだしたはずの「財」を失うので同じです。見えないだけです。

あくまで理想論としては「防衛にお金を使うくらいなら福祉に!公共投資に!」と言うのはここまでは否定できません。

 

 

防衛費用の必要性

 防衛産業はすそ野が広く、正面装備品(護衛艦とか潜水艦とか)を国産化することは、大型の案件なら数千の企業が関わりますので、経済に全く貢献しない訳ではありませんし、機密保持も比較的容易です。安易な防衛装備品の輸入は財の流出に繋がります。自衛隊員の人材育成・教育・訓練や福利厚生、棒給を向上させることは、士気の向上に繋がるでしょうし、優秀な人材確保に繋がります。防衛研究開発は民生利用に転用できるものも多く、勿論全てではありませんが、日本の防衛研究はその研究結果を公表し民生利用を促しています。また、防衛装備品の海外依存は、「安全の質」を海外に依存することになりますので、リスクも負いますし、日本独自に要求される性能・能力もあります。ここは見極めが大事です。

中国・韓国・北朝鮮・ロシアなどの脅威も高く、太平洋の防波堤の位置にあり、また、「日米安全保障条約」を中心とした従来の軽い防衛力整備はアメリカの国力の低下に伴い、責任分担を求められつつあります。中露の領空領海侵犯、北朝鮮の核、韓国の姿勢、尖閣竹島北方領土問題、シーレーン防衛など国家に関わる諸問題には一義的に自国で対処するのが当然です。日米安保体制はアメリカの都合もあって強固な同盟とは言えますが、神聖視すべきではありません。

 

 

安全の度合いは定量的に測れるものではありません。見方を変えれば「高い防衛力があればこそ安心があり、安定的な経済活動が維持できる」のだとすれば、安易に防衛力を低下させることはかえって機会費用がかかることにもなるかもしれませんし、確かにある種の公共投資とも言えるかもしれません。

世界や周辺国の様子を見ると、とても丸腰ではいられませんが、かといって安易に防衛に費やす訳にもいかないのが「防衛費」。どこまでコストをかければ良いのか、国内開発・生産の比率はどれくらいが適切か、海外調達はどの分野で規模はどれぐらいが良いのか、コストに見合った防衛力を維持しているか、判断が難しい。

 

トレンドは国際共同開発

因みに防衛装備品は昔と異なり、高度な技術力と高額な開発コストが必要となり、アメリカでさえも単独開発よりも国際共同開発に移行しているものも多くあります。最新鋭ステルス戦闘機F-35もそうです。その為の「防衛装備品三原則」なんです。

F-2戦闘機、F-15戦闘機の退役を控えての後継機の問題もあります。「自国開発」「共同開発」「輸入」それぞれ一長一短。輸出案件では飛行艇US-2、そうりゅう型潜水艦、P-1対潜哨戒機などの大型案件の動きに注目したいと思います。

 

平和ボケ

日本が「平和憲法だ!」とか「専守防衛だ!」とか内に籠って議論してるうちに、世界の潮流からドンドン取り残されています。結局損をするのは自分自身(日本国民)です。コスト高の武器を揃えるので数は揃わない、コストがかかるのでその分民生部門の政府支出が目減りする。丸腰になってなにかあっても丸焼けにされる根性も無い。でも米軍基地はヤダと言う。

憲法前文の一部「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して~」その結果、どこも同様な憲法を採択していないし、世界中どこかで戦争は続いているんですけどね。その現実を見据えての議論が欲しいものです。