海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

日本と韓国(朝鮮戦争ー1)

日本の若者の多くが「太平洋戦争(大東亜戦争)」を知らないと聞きますが、韓国でも「朝鮮戦争(他にも呼称あり)」を知らない世代が増えているそうですね。ある調査によると約半数とか。日本でも隣国で起こった戦争の事をあまり知らない人が多いのも仕方が無いのかもしれません。

 

【時間軸

かなりざっくりですが。

1910年(明治43年)8月29日、ロシアの南下を恐れた大日本帝国は、大韓帝国を「韓国併合に関する条約」によって併合し統治していましたが、1945年(昭和20年)9月9日の朝鮮総督府による降伏文書調印をもって終わりました。(伊藤博文は当初は併合に反対。その後桂太郎首相、小村寿太郎外相の説得に応じる)

その後38度線以南をアメリカ、北部はソ連が統治。1948年(昭和23年)8月15日、李承晩(後の韓国初代大統領)による独立・建国宣言によって韓国が成立、9月9日に金日成による北朝鮮建国。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効により、日本と連合国との戦争状態終結

 

朝鮮戦争勃発】

1950年(昭和25年)6月25日、北朝鮮軍が38度線を超えて南下し進軍。朝鮮戦争が始まりましたが、中国とソ連の支援を受けた北朝鮮軍が当初は優勢でした。開戦3日後には首都ソウル陥落。しかし最終的には国連軍(アメリカを中心とした16か国)の反撃によって押し戻し、1953年7月27日に休戦し38度線を休戦ライン(軍事境界線)としました。

 

【日本の後方支援】

この戦争の時にアメリカが中心となって国連軍を構成し反撃したのですが、先の大戦を終えたばかりの日本が、そのバックアップとして韓国を支えた事はもっと知られてもいいのではないかと思います。

 

戦後の荒廃から立ち直ろうとしている我が国には当時の韓国よりも技術や人員、ノウハウが残されており、国連軍の支えになり、出撃を支え兵站・補給基地として機能しました。

アメリカ本土から朝鮮半島へ直接出撃するよりもはるかに効率的であるうえ、兵士、兵器や装備品の保管や輸送、兵士の休息や医療にも、旧帝国軍人とそのノウハウを活かした海上輸送、後方支援能力、高い技術水準とを持つ我が国だったからこそ基地機能を果たす事ができ、米軍を支え休戦に持ち込めたのです。日本の商船も人員や物資の海上輸送に深く携わり、日韓両国で荷役作業にも多くの日本人が従事しました。

 また韓国国内の日本人も支えました。朝鮮総督府関係者は勿論、出張と言う形で日本から韓国へ渡るなどして、海運、港湾荷役、鉄道輸送、兵器の製造や修理、通信などで8000人とも言われる人が働き、半年で400名弱の死傷者があり、個人ベースでは日本人パイロットによるスパイ空輸、諜報活動などもあったと言われます。

 李承晩ライン(竹島領有のきっかけ)の設定などで有名な李承晩初代韓国大統領は、日本人を毛嫌いし戦争に関与させまいとしたようですが、日本人の代わりができる韓国の人材が非常に少なかったことなどから、戦争遂行に問題を抱えたくないアメリカがその要求を飲みませんでした。

 

もし、アメリカが日本に戦略拠点を築いていなければ、敗北していたかもしれませんし、そうなれば韓国の消滅、日本の共産化(中国やソ連の占領)もありえたかもしれません。過去の日本による併合はロシア(ソ連)を畏れたゆえですが、戦後はその肩代わりを結果的にはアメリカがしたのです。

一方、戦後のインフレに苦しむ我が国には「特需」が舞い込み一気に復興が進みましたが、そこだけがクローズアップされてしまい、韓国では「日本人は朝鮮戦争で儲けた悪い奴」とのイメージがあるようです。

 

【日本特別掃海隊】

海軍の戦闘艦艇の作戦上も、地上軍の進行に伴う物資補給にも海路の安全確保は必須でしたが、最も有名なのが海上保安庁の「日本特別掃海隊」による機雷掃海です。

 

1950年10月~12月にかけて元海軍軍人隊員1,200名、掃海艇46隻、327kmの水道と607平方キロ以上の掃海を実施。27個の機雷を処分しました。

当時は「極秘」とされた任務ですが、これは朝鮮海域への機雷掃海任務であり、戦闘行為への参加とも解釈される行動です。元山沖で掃海作業中に1隻爆沈し殉職者(戦死)1名、重軽傷者18名を出しました。派遣の事実は30年間、公にはされませんでした。

 

3次にわたる試行船「桑栄丸」による朝鮮海域への派遣は、「人の命1万円で買います。乗務員募集」という広告が新聞に載るほど命がけの任務でした。旧海軍出身者のノウハウが活かされたこの命がけの任務は朝鮮戦争での国連軍を支え、海上自衛隊の創設にも関わり、また講和条約の締結にも有効に働いたでしょう。

 

当時発足したばかりの韓国海軍は、戦闘艦と言えるようなものは無く、また機雷掃海能力もありませんでしたし、米海軍も能力不足でしたので、旧帝国海軍省から掃海業務を引き継いでいた日本が適任だったと考えられました。但し終戦後に徐々に規模を縮小されており、もう少しでこの能力も無くなるギリギリのタイミングでした。

 

このあたりのことは国会でも中曽根内閣当時(参議院通常国会第108回)に質問がされていますが、政府の答弁は「確認しえない」「承知していない」であり、公式には政府は関与していないことになっています。

占領下の日本で米軍極東海軍司令官の命令によるものだからです。実態はマッカーサー元帥の命令を受けた吉田首相が逆らえる訳ではありません。逆らって講和が遅れたりすることや講和条件が厳しくなる事を避けたのでしょう。その証左に吉田総理から特別掃海隊宛に、「我が国の平和と独立のため、日本政府として国連軍の朝鮮水域に於ける掃海作業に協力する」と電報が届けられています。

 

当時の掃海隊が韓国軍兵士に言われたエピソードで、「自分の国の危機に日本特別掃海隊が手助けにきてくれているということを皆大変感謝している。中には日本を憎んでいる者もいるが、こんな皆さんの仕事を知らない人が多い。」残念ながら今も現状はかわっていません。

 

派遣された隊員も心中は複雑だっただろうと思いますが、隊の解散の際の海上保安庁長官訓示「国際社会において、名誉ある一員たるためには、手をこまねいていてはその地位を獲得できない。私達自らの努力と汗で獲得しなければならない」との言葉に従ったのでしょうか。私にはわかりません。

にも係らず30年間も秘匿され続け、命がけの努力が日韓どちらにも認められなかった隊員の心情は察するに余りあります。このことを思うと激しい憤りを感じます。しかし米軍の反日感情は和らぎ、そして信用となり後の日米同盟に繋がりました。

少なくとも現代を生きる我々日本人は記憶に留めるべきですし、韓国の人にも知って欲しいと思います。

 

【日韓の安全保障】

日本の安全保障は韓国の安全保障と直結しています。「反日」「嫌韓」でネットは時々荒れますが、安全保障上は切っても切れない関係です。

旭日旗問題、慰安婦像、徴用工裁判、原爆Tシャツ・・・怒るのは理解できますし、私も腹立たしい。

だからといって「国交断絶」などど簡単に言う人がいますが、そんな簡単にできません。万一「韓国」の北朝鮮化が起こればどうなるのでしょうか。背後には中国がついています。中国は第2次大戦後に次々と国境紛争、戦争、民族問題、宗教弾圧、果ては天安門事件のような弾圧を起こしており、今も南シナ海尖閣諸島で関係国と争っています。その事を踏まえると断絶はできません。

韓国も軍事政権から近年ようやく民主化が進んできましたが、北朝鮮のような独裁国家に飲み込まれることを望むのでしょうか。

 

【挨拶ぐらいが丁度いい】

日本と韓国は地政学的にも経済的にも民族的にも近しい関係ですが、近すぎると軋轢を生むのかもしれません。フランスやオランダなどの植民地を支配していた欧州諸国もかつての植民地に謝罪はしていませんし、緊張関係が続いていますので、無理に「和解」などを期待せずに緊張感を持ちつつ「是々非々」で「丁々発止」やり取りをするのが正解なのかもしれません。

国家間の約束事を守らないことに関しては、現実的な対処を取る必要があります。それが対等な国家間の付き合いであって、慣れ合いは決していい結果は生みません。日本は毅然とした態度を、韓国は国際ルールに基づいた内政をしてほしいものです。