海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

救難飛行艇US-2に女性機長が誕生!

女性機長誕生!

US-2救難飛行艇。 海上自衛隊が運用するこの飛行艇に、この度初の女性機長(岡田2等海尉)が誕生しました。素晴らしいことですね。自衛隊の女性進出には目覚ましいものがありますが、この機会に個人的にも大好きなUS-2という飛行艇を振り返りたいと思います。

 

我が国は飛行艇先進国

我が国の航空機開発は戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で途絶えました。その後に少しづつ開発はされてきましたが、一旦途絶えた技術は追いつくのが難しく未だに完全な国産戦闘機の開発はできずにいます。

しかし、飛行艇は違いました。US-2は前身であるUS-1A US-1 PS-1に遡り、さらに戦時中の二式飛行艇(通称:二式大艇)、さらには九七式飛行艇に至ります。

US-2の開発主契約者(プライムメーカー)は新明和工業兵庫県神戸市)で、その他に三菱重工業川崎重工業、日本飛行機、富士重工業(現:SUBARU)など大型機の開発経験があるメーカーが加わりました。

新明和工業は戦前、川西航空機というメーカー(兵庫県西宮市)で、その時に開発したのが「九七式飛行艇」「二式飛行艇」や水上戦闘機「強風」、それを陸上機化し局地戦闘機紫電」となり、さらに「紫電」の問題点を改良し「紫電改」を生みだしました。

それらの設計の多くは菊原静雄氏で、戦後初の国産旅客機YS-11の開発にも関わった人です。この流れを新明和工業は受け継ぎ、戦後も飛行艇(大型機)の開発に関わり続けました。我が国は戦時中、零戦水上機化した「二式水戦」や専用設計された「強風」など多くの水上機を生みだしましたが、これは広い太平洋の島々に素早く展開し滑走路ができるまでの間の防空を水上戦闘機に依存する必要があったからです。反面、土木力がケタ違いの米軍は滑走路の造成に時間がかからなかったため、水上戦闘機は発達しませんでした。陸上戦が主役のヨーロッパ諸国ではほぼ不要な機種です。

戦時中の航空機設計者では菊原静雄氏の他に、三菱重工業堀越二郎氏が「零戦」、川崎航空機の土井武夫が「三式戦・飛燕」、中島飛行機の太田稔が「一式戦・隼」、航空研究所の木村秀政氏は周回世界記録を作った「A-26」を設計するなど、航空機の機体設計は当時では世界有数でした。しかしエンジンの開発は遅れを取っています。

 

US-2は世界一

US-2は世界最高の性能を持つ飛行艇です。波高3mでの離着水が可能で、高度9000m(3万フィート)の高高度で飛行できますが、任務上、怪我人や病人の緊急輸送が想定されるため、荒天を避けて高高度を飛行しても患者に影響が無い様にキャビンを与圧化しています。また4発あるエンジンのプロペラの回転方向を同一として維持コストを抑えていますが、回転トルクによる飛行姿勢の偏りを抑えるためにエンジンの取りつけ角を少し傾けるなど創意工夫が詰まっています。

 波高3mという外洋での離着水を実現するために、およそ90km/hという極めて低速での飛行や離着水が可能です。速度が速ければそれに応じて着水時に機体が受ける衝撃は大きくなりますが、艇体部や翼、フロートは上向きの波の衝撃に耐えねばなりません。着水速度が遅いほど衝撃は小さくなり、強度にも余裕が生まれ軽量化が図れます。その為にBLC(境界層制御)と呼ぶ高揚力装置を装備することで大きな揚力を得ています。これらが相まって着水に必要な距離は330m、離水には280mという極端に短いSTOL(短距離離着水)能力があります。

 またプロペラが波で叩かれにくくするために両翼のフロートは十分な浮力を確保しつつも軽量化するため炭素複合材を採用、操縦系統も3重系統のFBW(フライバイワイヤ)を採用しコンピュータにより制御され操縦安定性を高めています。

我が国は世界第6位の広いEEZ排他的経済水域)を持っているため、救難時には遠くまで進出しなければなりません。そのため、航続距離は長大で最大4700kmに及びます。1900km進出し2時間捜索できる行動半径を誇ります。

これによりアクセスできる離島は260以上、さらに離島には僅かな揚陸設備(スロープとエプロン)があれば滑走路は無くてもいいですし、船と違い1000kmを2.5時間で移動できることも大きな魅力です。US-1と合わせて出動回数は1000回を越え、多くの命を救っています。1000名以上の人命を救ってきたUS-2の価格は1機140億円ほど。意外と安い買い物だと思いませんか。

ところで、設計コンセプトが違うので一概には言えませんが、カナダのボンバルディア社の飛行艇(Cl-415)は、US-2の半分程度の小型機ながら離水には800m、航続距離は2400km、波高1.8m。US-2の優秀性が際立ちます。飛行艇を開発している国は、日本、カナダ、ロシアの3か国のみです。

 

オスプレイと競り合った

開発時にはV-22オスプレイが対抗候補に挙がったこともあるようです。こちらも従来のヘリコプターよりも長大な航続力、速度、30名が搭乗可能などUS-1の後継機としてはまずまずでした。ただし、着水しての救助はできずホバリングしてのピックアップとなり、プロペラのダウンウォッシュ(下降気流)は、対象者次第では問題があると考えられました。結局は新明和工業の熱意とUS-1での実績、V-22オスプレイの開発遅れでUS-2の開発が決まりましたが、US-1から20年以上も開発期間が開いたことは新明和工業にとっては辛かっただろうと思います。技術や思想は伝承されなければ、一旦途切れたらなかなか復活はできません。航空機開発の道を一旦閉ざされた我が国は、MRJもC-2輸送機もP-1対潜哨戒機も苦労の連続。複雑な航空機の開発は継続し続けノウハウを蓄積しないと結局は高価な開発費などに悩まされる事になります。

 

海外展開できるか 

インドがUS-2に興味を示してはいるようで、輸出交渉も行われているようですが、ユニットコストが高く、スムースにはいかないようです。しかし「開かれたインド太平洋」を提唱する我が国としては、インドとの連携を強めるためにも、また初の大型装備品の海外輸出の経験を得るためにも、上手く行って欲しいと思います。インド洋を活動域とするならUS-2はお役に立てます。他にもインドネシア、タイなども興味を示しているようです。さらに山火事などの消火に使えるように消防用に改造するアイデアもあり、コスト低減を図ったUS-3(仮称)の計画もあるようです。我が国の航空技術が人命救助に役立つことを願っています。

 

命がけの任務

US-2は2015年に5号機が事故で水没し喪失していますが、これは洋上において4発のエンジンのうち1発が波をかぶり出力低下を起こし3発で離水しようとしたものの、失敗し海面に激突してエンジンが脱落したものです。(乗員は全員救助)危険な任務です。

岩国基地に配備されいつ起こるか分からない事態に対処するため、万全の体制で常に待機し、いざとなると長距離を飛行し、レーダー、赤外線、目視などによって米粒のような小さく見える遭難者を発見、荒天の海に着水し救助をおこない、素早く離水し一刻も早く患者や遭難者を搬送する。この任務に命がけで取り組んでいるのが、US-2の開発・製造者とその乗員・整備員たちなのです。心から賛辞を送りたいと思います。

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US-2 出典:海上自衛隊HPより