海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

軍事と平和

軍事力とはなんでしょうか。一般的にはなんとなくとしか捉えていないのが実態でしょう。

例えば拳銃を持った殺人犯に使われるのは「警察力」ですし、その殺人犯が行使するのは「暴力」ですし、暴力団のような組織が行使してもこれは「暴力」ですよね。それは組織や規模の大小を言いません。戦争や武力紛争という状態の時に、少なくとも一方の主権国家が行使する組織的な武力行為を言います。相手が国家で無い場合も多くあります。ISやアルカイダなどのテロ組織相手に対抗するのは、軍隊であって軍事力を行使するのです。

 

では、軍事力はどのような仕組みなんでしょうか。まず直接的には、「戦闘機能」で、兵器・兵士・戦術・戦略がそれにあたります。次に「支援機能」で、兵站・情報・通信などのいわゆる後方支援です。これが無くては戦闘は不可能です。これらを支えるのが「ドクトリン」(基本的な原則)です。これらを一般的には「軍事力」と呼び、民主国家は予算と装備などは可能な限り公表しています。

そしてそれらを支えるのが、工業力・経済力・資源・研究開発力・人口規模などです。いくら能力が高くても人口が少なく動員できる兵士の数が少ないのならば、軍事力としては小さなものになります。

 

「軍事力」は通常は活動域に応じて「海軍」「陸軍」「空軍」などに組織されます。と言っても陸軍や海軍にも航空機はありますし、「海兵隊」などの特別な任務を帯びた部隊を持つ国もあります。

 

軍事力は危険なハードパワーです。「価値剥奪機能」を持ち、他の力に比べて圧倒的な破壊力を持ちます。しっかり管理されていないと不安定の原因ともなります。しかし、このパワーは自国の安全保障にも資するものであって善悪をつけるべきものではありません。極真空手大山倍達の言葉に「力無き正義は無力なり」とありますが、【自国の正義】を貫くには「力」が必要です。その一部分が「軍事力」です。

仏様の世界でも「阿修羅」「金剛力士」「五大明王」など諸悪から仏を守る役割があり、しっかり武器を持って怖い顔をしています。

管理され正しく運用されれば、不埒な国家が出現しても「国際法」を順守させるための強制力ともなりますし、どこかが突出し不安定な要因を作れないように均衡を保つ役割もあります。

 

しかし核兵器保有する国が増えるに従って、安易な軍事力の行使は躊躇されるようになりました。事情はもっと複雑ですが、北朝鮮とアメリカの駆け引きでもそうです。また、経済関係が複雑になった現代では、安易に軍事力を行使することは自国に対する経済的損失を高めることにも繋がりかねず、また高性能な通常兵器の前では人的損害も拡大するかもしれません。民主国家では戦争の最大のコストは人命です。それゆえ昔のように「軍事力」にモノを言わせるようなことはしにくくなりました。かといって「軍事力」の効能が低下してはいません。ISのような国際テロにはやはり「軍事力」は必要ですし、不安定な国家に投入するPKO活動にしても「軍事力」抜きでは活動できません。内戦を「鎮圧」するための強制力を発揮し、新たな暴力を「抑止」したりします。相手側に法の順守を強要するのにも使われます。

 

また軍隊には「自己完結力」があるため、非戦闘能力も活用されます。災害などで発揮される能力を思い浮かべてもらえればと思います。いわゆる民生支援です。食料・給水・医療・救援・・・治安の悪化している地域でのこのような活動ができるのも、組織され訓練されて装備が整っている「軍隊」であればこその機能です。

 

ところで私は自衛隊救急救命・医療体制が不備ではないのかと考えています。幸いにも実践経験もなくその必要性が無かったため、救命のための装備や教育、法律などの不備が多く指摘されています。海外派遣されることが当たり前となった自衛隊ですが、脅威の度合いは低くても自衛隊が派遣される地域には当然危険が伴います。場合によっては自衛隊のみならず、多数の人間が大量に出血するような事態に出合うかもしれません。銃弾や爆弾による怪我は通常の対処では間に合いません。どうやら自衛隊ではそのような事態に備えた装備・体制が十分とは言えないようです。

アメリカやイギリスなどの実践経験豊富な軍から学びながら、少しずつは改善されているようですが、予算の問題もあり未だに時代遅れな感じがぬぐえませんし、以前書いた「病院船」や「装甲救急車」のような装備はありません。

平和と人権を声高に叫ぶ方々が十分な法整備と装備拡充を邪魔している気がなりません。「派遣をすすめる法整備をするとは何事か!」と。現実は既に現場に出ていますし、国内でもそのような事態が発生する不安が無い訳ではありません。「反対」のみを叫ぶのではなく、自衛隊の方々のことを思い現実を見据え乍ら、国民・政府双方が正しく対処される事を望んでいます。自衛隊は我々を理不尽な「軍事力」から守ってくれますが、自衛隊を支えるのは国民である我々です。

 

我が国は戦後70年以上にわたり戦争をしない時代が続きました。これ自体は素晴らしいことであり、誇るべきものであると思います。アメリカは自国の利益を最大化するため我が国を戦後すぐに庇護し、日本はそのもとで経済成長してきました。そうして争いから遠ざかるうちに国家としての意思表示もすることなくぼんやりとした「平和」のなかで暮らしてきました。

しかし世界を見てみるとウクライナは独立を勝ち取る戦いと征服される歴史を繰り返し、クルド人は独立のための戦いを続けています。チベットウイグルは中国に取りこまれたままです。大陸国家は民族・宗教などがひしめき合い複雑であり、そのなかで民族自決を貫くのは並大抵のことではないでしょう。同じような島国のイギリスでさえ「連合王国」としての問題は山積しています。我々もそろそろ国のありかたについて真剣に向き合う時代がきたのではないでしょうか。国家の最重要課題は経済でも社会保障でもありません。それらの根幹は「外交」と「安全保障」であり「軍事」はその道具となるべきものです。そして「軍事力」は強い意志によって正しく制御することにより「平和」を作り上げることのできるものであると思います。