海洋立国論

勉強のつもりで書いています。

零式艦上戦闘機(番外編)

先ごろ、復元された「旧日本海軍零式艦上戦闘機22型」が日本の空を飛びました。いわゆる「ゼロ戦レイセンと呼ぶ場合も)」です。多くの日本人にとって最も有名な戦闘機かもしれませんが、今回は「ゼロ戦」を詳しくご存知ない方のためのオレ様的夜ネタにしましょう。ゼロ戦礎知識です。兵器ではありますが、その美しさは美術品とまで言われます。

まず、名称についてです。正しくは「(零式艦上戦闘機れいしきかんじょうせんとうき」と呼びます。
当時の大日本帝国には空軍はありません。航空機はありましたが、大戦初期には戦力としてはあまり重要ではなかったのも一因です。しかし旧日本海軍、陸軍には「航空隊」があり、そこに飛行機を配備していました。

まず「零式」というのは何か?ですが、ゼロ戦も軍からの性能要求書があり、三菱重工業が受注、堀越二郎技師を設計主務者として開発、試作を重ね「制式採用(型番と名称を付与し正式に採用)」されたのですが、その採用年が「皇紀2600年」であり、その末尾二桁の数字をとって零式となりました。これは当時のルールでした。戦車なども同じです。(その前の飛行機には「九九式」とか「九七式」とか「三式」なども。)

皇紀とは神武天皇の即位から数えてのことです。(学術的な正しさは証明されていません)
これとは別に「A6M2」などの型式があります。Aは艦上戦闘機、6は6番目。Mは三菱で2は二番目の型のゼロ戦ということです。(因みに陸軍では機体番号は「キ」とカタカナ表記でエンジンは「ハ」(発動機)でそれぞれの後ろに数字がつきます。同じ国の軍隊でも呼び方さえ違う。^_^;)

「艦上」と言うのは「航空母艦」などに搭載し運用する事ができる事を意味します。海軍の戦闘機ですから、当然と言えば当然ですが、「陸上運用」のみの飛行機も勿論あります。

空母に載せるなら狭い飛行甲板で離発艦できる能力、母艦内で整備できる整備性、沢山搭載できるようにコンパクトな機体、塩害対策などが必要です。つまり低速でも発艦でき低速でも失速せず着艦できる事が必要です。

「戦闘機」ですから、戦闘をする事が目的です。当時としては珍しい20ミリ機銃を左右主翼に夫々一門、機首には7.7ミリ機銃が装備されています。

ゼロ戦の特徴として挙げられるのが「高い運動性」「航続距離」「速力」でしょう。採用当時は並ぶものがないほどの高性能でした。

「高い運動性」は機動性のことであり、それは「格闘戦」の能力になります。
現代と異なり、当時の武装は機銃のみ。多くの場合は敵機の背後に回り込み射撃する必要があります。
回りこむ際には小さな旋回半径がものを言います。そこに優れていました。

「航続距離」とは飛び続けられる距離のことですが、言い換えれば「滞空時間」の長さとも言えます。
レーダー(電波探針儀)の発達していない時代ですから、見張りは目視です。飛行機で高空から、または遠くへ偵察するにも必須の能力です。
遠くの基地や母艦から飛び立って攻撃する能力でもあります。(この能力がある種の悲劇の元とも言えます)

「速力」当然、速さ。当時としては画期的な500km/h以上の高速でした。

また、それらすべてを支えたのが、隅々まで行き届いた「軽量化」です。勿論多くの問題点・弱点も抱えてはいます

日本軍には戦闘機をはじめ数多の航空機が存在し、初期を除いて自国での開発・生産でした。
なのに、なぜゼロ戦だけが有名なのか。日本の大戦機の代名詞ともいえるのか。
そのことについてはここでは触れることができません。
それはあまりに深く重いテーマだと思うからです。

もし、興味が沸いた方がいらっしゃるのなら、小説、記録、などあらゆる資料があります。そしてご自身でお考えください。

ひとつ言いたいのは、復活した零戦には平和の空を存分に飛んでほしいということです。

(写真は2013年大和ミュージアムで撮影したものです

 

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